息子が1歳3ヶ月の頃、
私は高熱が続いて・・・倒れた。
車もない、子乗せ自転車もない
歩けばいっか、あるもので暮らすか
と、よく言えば工夫していた。
(実は、これ以上できないといえなかった。
子の未来のために貯金しているんだと思っていた。
夫からもらう月3万5千円で食費や雑費をまかなわなければいけないんだと思っていた。
楽をする道具や方法にはお金がかかるのなら工夫するしかないと思っていた。)
その時、
倒れてしまったのだ。
休めって
楽をしろよって
体からのサインだったんだと思うが
当時はそのお知らせに気がつかなくて
無理して無理して、本当に倒れてしまった。
42度の熱が1週間(うち、ステロイドの点滴で一瞬熱が下がる)
授乳も続けていたし、夜も昼も寝れないしで
「お願い、会社を休んでもらえない?」
と相談するも
「え?そんなの無理でしょ。君はただ家で寝てればいいだけじゃん」
とオット。
「そうか、仕事もしていないし、
寝てればいいだけなのに・・・・
授乳、食事、洗濯、風呂掃除、茶碗洗い・・・
寝ることができない。。。(いや、家事全部やめたらよかったんやで?)
寝れないのが、休めないのがこんなに辛いなんて・・・。
寝たい・・・。横になりたい・・・。」
でもオットは会社を休むなんて無理だという。
寝たいだけなんだよ~
誰かに子どもを預けたいよ~~
でも出歩く気力もないよ~~
と母に電話で愚痴ってみたら
なんと!!
翌日に家の前に立っていた。
有給を取れるだけとって。
door to doorで6時間の道のりを「死ぬかもしれない!」と駆けつけてきてくれたのだった。
泣いた。
さて、母に息子とオットの食事や洗濯をすべて任せ
(ん?オットよ、なぜ自分のことくらいしない?)
寝ることにしたのだが
その頃はガッツリお薬派だった私。
解熱剤を飲むと、何とか寝れるも
明け方起きて少しすると、ガクブルと全身が震えだしインフルエンザ並の悪寒が。
42度にもなると、もう全身が固まって力が抜けないのだ。
1週間たっても熱が下がらず、悪寒もひどい。
さすがにこれは何かおかしい・・・と
大きな病院へ。
「髄膜炎」を疑われて検査するもシロ。
家にいても休めないだろうから・・・
ここは断乳して、子どもとはなれてゆっくり寝て
検査しましょう。
ってことで入院生活に突入。
いや~、今思えばね
そんな検査なんかしなくて
ゆっくり休んで寝てればよかった。
でも、高熱の原因が知りたくて
いろんな検査をしまくった。
きっと担当医もそう思っていた。
マラリア(3日熱マラリア。ガーナ帰国時に熱が出るも落ち着いた過去から、もしかして肝臓に隠れているのか?と。)
血液の癌
肺血漿だったか??
あんまりよく覚えてないけれど、ありとあらゆる検査をした。
しまいにはPET検査(陽電子放射断層撮影)まで。
さすがに、放射性薬剤を飲んだその体で、授乳や抱っこはできない
と泣く泣く息子に会わずにいた1週間。
もう、思い出したくもなかったせいか薄れてきた記憶だけど
体が本当に辛くて(検査より休めばよかった)
心も病んでいっていたと思う。
1ヶ月たつ頃に、
やっと38.5度まで下がった。
私はその時、近い死を覚悟した。
「この後10年も生きていられないかもしれない。
入院していても治らない。できるだけ子どもと過ごしたい」
と、退院した。
(看護師さんはとても良い方だった。
ただ、病院が治してくれると思っていた自分が間違っていたと気がついたのだ)
ちなみに、
1か月の入院で夫が見舞い?様子を見に来たのは
退院の説明がある日だけだった。
当時は、そんなに休みが取れない仕事なんて大変だなと思っていたが、
今は、休む気があれば休めていただろうと思う。
退院後の1ヶ月はこれまた体力も落ちているし
辛くて辛くて。
2ヶ月止まっていた生理が再開したが
経血がレバーのような塊で出てきて止まらない。
気がついたら「ママ、血が流れてるよ」というほど流しながら歩いていたこともある。
(ほんと思えば、なぜその時に子乗せ自転車や車を買わなかったんだろう・・・)
洗濯物を干そうとして寝落ちして
干し途中の洗濯物を見た(まさに見てるだけ!)
オットに翌日の朝
「洗濯物はすぐ干さないと臭くなるよ」
といわれ
「こんなに汚い部屋に帰ってくるのうんざりする」
といわれ
どんどん、疲れて、」心も離れていった。
「じゃ自分で片付けてみろや。1歳児すぐ散らかすで?
てか、自分のめんどうくらい自分で見ろや!」
と言ってやればよかったのだ。
自分でやったことがないからわからないのだ。
でも、バリキャリア(のつもり)だった私は
お金を稼ぐことができない自分に引け目があって
手伝って。と数回は伝えるも、それ以上は言えず
「くそう、今はまだ働いたら体がしんどい。
子どもと過ごせる時間のためにも耐えるのだ・・・。
どれだけしんどくても、子どもが10歳までは生きてやる。
そばにいるように頑張る。」と
息子には愛を、オットには呪いをかけていたのかもしれない。
産後の2年で夫婦の今後が決まるというが、
だとしたら我が家の産後は、決定的な爪跡を残したといえるだろう。
さて、それだけ体がしんどかったので、
1歳児つれて2キロ弱先のスーパーや八百屋に買い物に行くのも辛くなった。
ベビーカーのほうが楽なのか、坂がきついのか
買いもなんてできないっ・・・。
そう思って買い物に行くことを手放した。
始めたのが宅配だった。
え???むちゃむちゃ長い前振りやん?!?!?!
それ?
本当は名古屋の宅配事情を書こうとしていて
あれ?何で始めたんだっけ・・・宅配・・・
と、思い出したら
えらいこと、思い出してしまった。
思い出すと本当に辛かったな~~、だけれども
普段は、そんなに思い出すこともない。
辛かったけど、たぶんつらい記憶は忘れるようにできているのだ。
ついつい、昔の自分にヨシヨシする気持ちで書いていたら
長くなってしまったので、
次回
オススメ宅配==