あそびとくらす

遊びと暮らす 遊人クラス 日常の中にちょっとした遊び&スパイスを。日常の中からちょっとした学びを。

やりたいことをやってみる① 私の誕生日

子どもが10歳になるまで、生きていられたら…。

 

2013年 夏  

私は死にかけた。

と、自分では思った。

(今思えば、意識もはっきりしていたし、

軽症だったんだろうけど、初めての体験で死ぬかと思っていた)

42℃を超える熱が1週間続き、体が硬直し

ステロイドの点滴も効かず

夫に相談するも「寝てればいいだけじゃん」

・・・・・・・・・

任期付きで名古屋に仕事に来て1年、退職。

実家は遠く、友達もいない場所で出産。

1歳児をワンオペで誰にも(夫にも、家族にも)頼れず、

寝ることもできず

500km以上離れた母に「寝れない」と電話したら

翌日、玄関に母が立っていた。

私は泣いた。

助けてもらおうと思って電話したんじゃなく

辛くて、しんどいよ〜と聞いて欲しかっただけだから。

10日しても熱は下がらず、

母の帰宅する時期(有給を使い果たして)が近づき

断乳して入院。

 

あの頃は「病院が病気を治してくれる」と思っていた。

ありとあらゆる検査をした。

PET検査をする前日に、

「もう、おっぱいは飲めなくなるんだ」

「これから1週間、抱っこできないんだ」

と息子に話しかけたら、

息子がおいおい泣いて

私も泣けてきて、2人で号泣しながら

抱き合った(相手は1歳児。正確には抱っこ)

 

1ヶ月経ち、

原因不明のまま平熱が38.5℃まで下がった。

「病院は、病気を治すところではないかもしれない」

(病気の治療をすることも、手助けすることもしてくれるけど

全てを丸投げしておけばいいわけではない。)

と、ようやく気がついた私は、

「熱が下がってきたので、退院します」

と退院した。

あの頃の看護師さんたちには感謝しかない。

入院当初、深夜に熱が上がるたびに体が硬直し

「他に辛い患者さんがいなかったら背中をさすってほしい」

さすってもらうだけで、ホッとしていた。

そして、今思えば、

先生は、

原因を突き止めてくれるはずじゃないの?

直してくれるはずじゃないの?という

思い上がりが一層症状を悪くさせていたと思う。

 

退院してから、3ヶ月

階段を登るだけで息切れし

不規則な経血が、流れ出ていた。

立ちくらみもすれば、

倒れて、しばらく立ち上がれないことも多々。

1日1日を

子どもを死なせず、

自分も死なずにやり切るのが精一杯だった。

 

「寝てればいいだけじゃん」

「洗濯洗ったらすぐ干さないと臭くなるよ」

干したいけど、倒れて寝たんじゃ。

見えてるなら干してくれ…

 

離婚したいくらいに嫌悪感が募ったけど

「今離婚したら、暮らすのにも働くにも精一杯で

死期が早まり、子どもと過ごす時間がなくなる。

元気になって、経済的に安定するまで我慢するんだ。

子どもと過ごすために」

 

その後も、

何かあるたびに、

呪いのように自分に言い聞かせ、

まさしく

呪いのように自分を縛っていた。

今思えば、夫も呪われていたのかもしれない。

 

せめて子どもが10歳になるまでは

見届けたい。

 

そんな縛りや呪いなんか必要なかったんだけど、

苦しい時には自分に言い聞かせ

(いや、

呪いのせいで苦しくなっていたのかもしれない)

子どもは今年、10歳になった。

 

よし、

死んでもいいほど子育て、

やり切ったか…??

 

経済的に安定したか??

 

 

さっぱりです!!(笑)

 

倒れてから5年ほどは、

子どもにアレルギーがあったこともあり

死ぬ前に伝えられることは

「食べることは生きること」

料理を作るのもさることながら、

どこから命が育って(育てて)、

それをいただいているのか

食べることは生きること、

命をもらっていることを伝えたい。

と躍起になっていた。

米作りにも機会があれば参加し(実家は遠かったのでやや近場?で)

食べるものののほとんどを作りたいと思っていた。

味噌や醤油、その他の調味料もなるべく手作りし

野菜や動物も育ている場所に行き、

収穫したり、屠殺したり、ジビエを分けてもらいに行ったり、魚を取ったり。

鶏の毛をむしったり、骨だけになった鹿や猪の頭蓋骨も見て、

それでもお肉を食べるのか…?

野菜も生きているんだよ…。

そんな話をしたりもした。

4歳の誕生日には鋼の名入り包丁をプレゼントして

(本人が望んだかは気にしていなかった 苦笑)

一緒に料理もしていた。

 

5歳頃までは、何でもやりたがるので

料理も畑も一緒にしていたが

そのうち、「俺忙しい」というようになった。

と、同時に私の体力も回復してきた。

 

食べることは基本

そういう思いは変わらないけど、

本人がしたくないのに無理矢理やらせる必要があるのだろうか?

やりたいと思った時に

もしかしたら必要に迫られた時に

また、息子も料理や畑を再開するんじゃないなだろうか。

今は私が元気になってきたから、私が作りたいものを作ろう。

 

そんなふうに思えてきて、

今ではそこまでストイックに

調味料から何から何まで自前で作ったりしなくなったし

子どもと料理することもなくなってきた。

少し、寂しくもあるけれど。

 

子どもが10歳になり

伝えたいこと全てを伝え切ることが

 

全くできていないけど(苦笑)

 

私は元気になってきていて(多分)

夫に離婚したいほどの嫌悪感も感じなくなり

むしろ

あれは、私にも原因があったんだろうなと

やっと思えるくらいになって

今は、家族にも彼にも、もちろん子どもにも

心から、ありがとう。

 

子どもに料理を伝えなきゃいけない

んじゃなくて

私が作りたいから作る。

 

縛りを自分で勝手にかけてしまっていたけど

誰かのために自己犠牲を感じながら耐えるんじゃなくて

 

やりたいことをやってみる

相手の安心と安全を奪わずに

 

そんな1歩を踏み出したい。

そう思って数年。

 

少しずつ、

やりたいことを

一人でもやってみている。

家族と共にできたらいい。

けど、

1人でも

やりたいことがやらせてもらえるなら

それは、

ありがたいことなんだな〜と

今年も思った。

 

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