朝歩いている。
朝5時半から6時半ごろに歩いていると
それはそれは清々しい。
名古屋の幹線道路の近くであっても、
川のほとりを歩いていると「良い空気だなぁ」
なんて思ったりする。
(実際には田舎の空気に比べれば…)
早朝に歩いていると、
出会うのは私よりお姉様やお兄様方たちだ。
「おはようございます」「おはようございます」
そう言いながらすれ違うのも悪くない。
この時期になると外来種ではあるがオオキクキンケイギク、カラスノエンドウ、それに野いちごなどの花が
朝から元気をくれるのだ。
そんな中、私は最近気になる人に出会った。
初めて会った時から彼がちょっと気になる。
2度目にお見かけした時も…気になる。
3回目に出会った時も…やはり気になる。
年は、私より上。
しかし両親よりは若く見える。
いつも1人で歩いてらっしゃる。
穏やかそうな方だ。
すれ違いながら、声をかけようか迷っているうちに
本日の出会いが、4回目となった。
ええ〜い!
思い切って声をかけてみた。
「おはようございます。
いつもありがとうございます。
ご近所の方ですか?」
「ええ、あの辺りです。
いえいえ、どうも。。。」
そう言いながら
彼はいつものように、ゴミを拾いながら
ウォーキングを続けて去っていった。
ああ、よかった。
お礼が言えた。
お礼が言えたことで少しばかりの罪悪感が
少しだけ軽くなった気がした。
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まだ息子が小さい頃、私は息子とよく散歩していた。
息子をおぶっていた頃、
息子が歩き出した頃。
田舎育ちの私には
マンションの周りや駅の周りに落ちているゴミが気になって、
それらを拾える時に、散歩のついでに拾っていた。
そして息子にも
「ゴミを道に捨てたらあかんよね〜」とつぶやいていた。
息子がその意味をちゃんと理解していたのだと知ったのは
彼がしゃべれるようになってからである。
ある日、駅へと小走りする最中、
息子は立ち止まり、「ゴミだよママ、ひろおっか」と立ち止まった。
「え?あぁそうだね、拾ったほうがいいね。でも今は急いでるから」とゴミを無視した。
息子は散歩の途中でも、お出かけの途中でも
「ママ、ゴミ拾おっか」と立ち止まる。
そんなことが、何度も何度も続き
最後に私は
「そうだね。拾ったほうがいいんだけど、今はお出かけでしょ。
急いでるし、今日はゴミ袋も持ってないから。
拾っても、入れるものがないし、ゴミを持ったままお出かけしたくないの。
今度ゴミ袋持ってる時に拾おうね。」
「ほんま、なんでゴミ捨てるんやろな。(捨てる人が悪い)」と呟いて、
スルーしているうちに、
そして、ゴミ袋をわざわざ持ってゴミを拾いに出かける日もなくなってゆき、
そのうち息子は
「ゴミが落ちてるよ、拾ったほうがいいね」と言わなくなった。
彼が大きくなって、
心と時間に余裕がでできた帰宅時にゴミを拾おうとしたことがある。
ゴミを拾ったことがある。
彼はなんで拾うの?捨てた人が悪いんじゃん。拾うと汚くなるじゃん。
そう言われて私は気がついた。
あぁ、ゴミが落ちたら拾おうかな。きれいになると気持ちいいよねと思っていた息子の気持ちを
ゴミを拾うと自分が汚れ物を持つ。ゴミを捨てる人が悪いんだ。
と言う気持ちに変えてしまったのは私かもしれない。。。
なんであの時、「ママごみだよ、拾おっか」と言っていた頃
急いでいても、
いや急いでいない時もあったろうに
拾い続けなかったんだろうか。

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私はできた人間でもないし、聖人君子でもない。
毎日ゴミを拾えるほどに広い心を持っていない。
けれど、朝の散歩の時ならば、家の周りのゴミぐらい拾えるかもしれない。
そう思っていたけれど、
やっぱり朝の清々しい気持ちの中、
歩いていると足元のゴミを見て歩くよりも空や花を見ていたいなと。
見えないふりをしてるわけでは無いのだが、
「ゴミでも拾うかな。ゴミ袋持って出よう」と言う気持ちは
朝のうちにはすっかり忘れているのである。
そして家を出たところ、ゴミを拾っているあの人に出会ったのだ。
「おはようございます。いつもありがとうございます。近所の方ですか?」
そうやってお礼を言うことで、
した方がいいと思っているけれどできていないことを
小さな罪悪感を消そうとしたのだろう。
私は明日
ゴミ袋を持って家を出るだろうか。
そうしたほうがいいんだろうなぁとは思うけれど
心どっかであの人が拾ってくれているなら、まぁいいかな…
と言う小物の悪魔がささやくのだ。