在り方を感じた日
「自由な場づくり」のための基本となる
安心安全な場づくりのためのコミュニケーションワークの研修会
なる会に参加してきました。
自然スクール「トエック」
(徳島県:https://toec.jp/)で40年近くにわたり子どもと大人の自由な場、
ようちえんと自由な学校を続けてきた
代表の伊勢達郎さん(たつろーさん)、ぷーさん、ふなさんの3人もが講師♪
トエックについてはこちら。
映画 自由な学校(卒業生制作)が分かりやすそう(まだ見てない)
そもそも
自由な場って
安心安全な場って
森のようちえんや、自由な学校だけやなくない?
親子でも、家庭でも、近所でも、もちろん公立の学校でも。
どこにいたとしても、心は自由。
(なんやったけ?夜と霧?牢獄の中にいても心は自由いうた方。)
そんな場所が作れたらサイコーやな!と思って参加してみました。
(はっ、違う違う!アウシュビッツが作りたいわけでは決してない!
むしろ、心だけやなくて身体も自由な場所が好き)
実際参加したら、森のようちえんやフリースクール関係者がわんさか。
今の学校教育では、○○が〜、
そんな中にポツン。
ええねん、ええねん、
1人焼肉も1人カラオケも1人ランチもそんな言葉が流行る前から
1人好き(なわけでもないが)やったやん。
どこでも、そのままの私で参加したらええねん。
ってことで♪
(気がついたら、おてての会で知り合った友達がきてた:)
結果、
私、全然できてない…。
やっぱり、「在り方」だった。
在り方が変われば、自然と広がるんやな〜。
以下メモ。
=聴き方・在り方=
・暖かい目で。
聞いてくれる。関心を持ってくれる。(関心)
正直に、そのままの自分で。聞く人自身に嘘がない。(正直さ)
変えようとしない。(受容)
そんな人が近くに1人でもいたら、やりたいことをやっていける。
・情緒の共有
・自分の気持ちも表現=相手を責めるためではなく、自分の気持ちを伝える
・言葉と行動と気持ちは分けて。
やり返してやりたい!!→やり返したくらい嫌だったんだね、悔しかったんだね
叩くのはダメ)→叩きたいくらい悔しかったんだね
・他者の靴を履く:エンパシー
・聴くのは、「イマココ」の気持ち
・聞くのは、相手の気持ち、場、何より自分の気持ち。
自分が元気でいることも大切
・場、空気を聴く、聞く、効く
・究極の支援は何もしないこと
・介入には必ずリスクが伴う
・最も強いのは「無視」
見守るは一歩間違うと無視
・あの子は○○な子、レッテル貼りをしない。
・子どもが相手だと、コントロールしようとする言葉が多くなりがち
・問題を問題としない
・自由を使いこなせるようになる。(何も制限がないことが自由ではない)
今回1番、心にしっくりきたのは
・正直に、そのままの自分で。聞く人自身に嘘がない
・相手を変えようとしない
この2つは同じだってこと。
ありのままの私でいいんだ、
ありのままのあなたでいいんだ
それが体現できている場が「安心な場」なんじゃないかな〜ってこと。
そうありたいと思うけれど、
相手に「こうした方がいいよ」
自分はこれだけやってきたから(あなたも)と思う時、
もしかしたらそれは、
あなた自身が(私自身が)頑張ってきた自分を頑なに守っていて
何もしないただの自分にOKを出せていないのかもしれない。
頑張っていなくても
何もしなくても
ただそのままの自分を受け止めてくれるのは、
もしかしたら自分自身なのかもしれない。
そのままの子ども達や相手ををありのままに受け止め
る前に
そのままの自分にオッケーが出せたら、
自然にだんだんと広がっていくんやな〜💕
愛にあふれたタツローさんたちを見ていてそう感じました。
タツローさんが、頑張ってないわけじゃ決してないよ!
でも、なんていうか、自然体。
信じてもらえている。
受け止めてもらえる。
嘘がなさそう。
って言うのは、感じるものなんだと感じたし、
それが伝播していく様子を感じられることができる場でした。
自然体に自分を出している相手には警戒もしなくていいのだ。
まずは、自分から。
相手を信じて、自分を出してみる勇気を持ちたいと思う。
子どもがお手本だな〜。