子どもがyoutubeやゲームを求めるのは大人が与えたから。
衝撃的なタイトルが目に入った。
ガガガガーン
誰が与えたって?
そう、それは大概の場合、
両親… 泣
最初はyoutubeなんて知らないもんね。
耳が痛い…。
我が家、最初は全く与えてなかったのだが
息子がゾイドワイルドを検索したら、
配信してたのよね…。
そんで、私も
ナショジオを見つけちゃったのよね〜。
そんで、おさるのジョージが英語で喋ってたのよね。
ああ、まつがい…。
その辺なら、ま、いっか?と
使っていいよ〜とipadを渡し始めたら
あれよあれよと
息子に手がかからなくなって
自分の時間ができて
お母さんが笑顔が1番だよね?
と自宅カフェタイムができたことに喜び
あれよあれよと
いろんなとこから情報が入ってきて
今では子どもの好きな
娯楽系youtuberがバンバン出てきてる、
私のipadに。。。
その上
なんと買ったテレビにyoutubeがついていた……
求めていないのにダダもれにくれる情報
いらんわ!
(あ、ごめんYouTube、
私も楽しく見る時あるよ?)
新世界を生きる子どもたちはその情報を使いこなせるのか?
そうなのかもしれない。
けれど、ジョブスもゲイツも
今ではシリコンバレーで働く親のほとんどが
デジタル時間を制限し、
むしろ与えない選択をしているのは…
そうではなかったと気がついた親がいるからではないのか?
IT格差といえば、十数年前までは
機器が手に入らない、
揃えられない家庭や学校と
手に入れることができる層のことだったのに
今ではIT技術に詳しく十分に揃えることができる裕福な地域の学校や保護者が
デジタル機器を使わない学びを選び始めている。
そして、その本物に触れる学びの方がはるかに手間とお金と時間がかかり、
選択する人たちが減ってきているそうだ。
我が家は決して裕福ではない。
むしろSwitchを買うのもヒーヒー言いながら絞り出した。
(自分で買って好きに使うよりは…
クリスマスプレゼントに家族の備品として買うか…と)
いや、ほんまいらんやろ!と言い続けてきたのに。
これは、まぁ試してみることにしたんだけどさ…
裕福ではないからこそ、
デジタル機器が少なくて、
食べ物がどこから来るか知って欲しくて
衣服がどうやって作られるか知って欲しくて
家をどうやって作るのか知って欲しくて
小さな小さな経験を積んできた。
今ではもうその経験もほとんど忘れてしまっているそうだが…。
いつか、彼が立ち止まった時に思い出してくれたらいいなと思う。
バーチャルな世界を生きるかもしれない子どもたちに
リアルな世界を伝えたいと思うのはただのエゴなんだろうか。
自転車に乗らなけりゃ、怪我もしないけど
あの颯爽と風を切る気持ちよさも
季節の空気の匂いも伝わらない。
知らなくても生きていけるんだけど。
私が辛かった時に助けてくれたのは
家族や友人たち、人でもあるけど
ボ〜ッと緑や海の近くで過ごした時でもあるんだよね。
与えずに済むのなら
そうしたかったけど、
全てを「親がルールです!」と言い切れなくて
子どもに任せる部分と「家庭のルール」の間をとって試運転。
試運転してみてやっぱり認識したのが
「一度与えたら、なかったことにするのは不可能(に近い)」
脳の成功報酬の仕組みをよく理解して
やめられないように作ってるのがyoutubeやゲームだった。
そりゃ飽きんよね。
そりゃ、ジョブスも、家に持ち込まんよね。
猿でも使えるものをつくったんだから
今から与えなくとも、いつでも使いこなせる簡単なものだから。
と、言ったところで
もう手にしちゃってるし、
なかったことにはできないし、
あるならあるで、うまいこと付き合えて行けたらいいなと思う。
イラスト 著作者:starline/出典:Freepik
ええ、気をつけなきゃいけないのは私ですけど(苦笑)