あそびとくらす

遊びと暮らす 遊人クラス 日常の中にちょっとした遊び&スパイスを。日常の中からちょっとした学びを。

学校に行きたくない子どもと、公立学校との付き合い方

たまに

宿題ってどうしてる?

学校行きたくないって言われた時どうしてる?

と聞かれることがあります。

それは多分、

子どもに名古屋の公立学校が合うのか?と疑問に感じ

いろんな小学校

・きのくに子どもの村学園(長野・和歌山・福井・長崎)や

・風越学園(長野)

・伊那小学校(長野)

・大日向小学校(長野)

・本郷小学校(山口)

に見学に行ったにも関わらず

最後は名古屋の小学校を選び

(ここ大切と思う。

子どもが、自分が、"選んだ"と言う意識。)

学校に行かないことを選択する日もありながら

現在(小4)では、楽しそうに学校に行ってるから?

 

上記の学校に行っていたら

行かない日なんてなかったかも?

もっと楽しかったかも?

なんて考えても分からないし

子どもが家族で名古屋で過ごす

と決めたことに納得したなら

歩いていける地域の学校がいいなと自分で選んだし

(そもそも学校には行っても行かなくてもいいのだ。

全ての行動は、私たちも自分で選んでいるのだ。)

自分で選んで通わせているんだ。

または通わせていないんだ。

当事者意識が低いと、批判だけになってしまいそう…

行かないなら行かないで、人生楽しみたいし

行くなら、その学校のいいところをたくさん見つけたいし

より良い地域(学校)になるよう自分にできることはしていきたい。

 

そもそも、めっちゃありがたくない?

"歩いていけるところに学校"

働いている間に安全に預かってくれて、しかも給食までついてきて

学習サポートまでしてくれて、同世代と遊べて!!

まじ感謝しかないですよ…T T

登下校まで学校の責任にしてさ

欧米じゃ門まで保護者が送ってくよ…?

 

学校に行くことが当たり前

なんて思ってないのと同じように

(だから、行きたくないから行かない、

も選択肢としてあるし

選べる場所が増えると楽に感じる子が目の前にいる事実もある)

誰でも行ける学校が近くにあるのが当たり前だとも思わない。

 

学ぶ権利をコツコツと積み上げてくれた先人がいて

当たり前のように学べる環境を作ってくれた人たちがいて

今の学校を支えている学校や地域の人がいる。

 

なので、

"歩いていけるところに学校があるってめちゃくちゃありがたい"

子どもたちのために、その人の信じるやり方で頑張ってくれている。

をベースに、子どもとも、学校とも付き合っていけたらいいなと思っている。

 

5年前はそうは思えてなかった。

学校なんて無理に行かなくていいし

行きたいと思える場所に行けばいいと思っていた。

宿題なんて、何の価値があるかずっと分からなかった。

今もそうだけど(笑)

 

なんていうか、私の中に

「行きたくなくなるのも当たり前よね。こんな管理教育の公立校じゃ。」

軍隊みたいな教育はいらん。多様性を認めてくれる学校がいいよね。」

そんな批判的な気持ちが大きかった。

 

押し付けられたくないから、

なるべく押し付けたくもない。

事実は1つでも、人の数だけ真実がある (by整くん)し、

そもそも、何が正しいかなんて、分かりっこない。

自分の好みかどうかってだけのことだ

と気がついたのはここ数年だ。

そう思うと、

ちょっと自分にブレーキがかかる。

"正しいと思ったこと=自分の好みを相手に押し付けようとしてないか?"

大切なのは、

●お互いに同じ目的

"子どもの幸せ“

を目指しているってことを忘れないこと

●感謝の気持ちを伝えること。

●自分がどんなふうに学校・教育をとらえているのか伝えること。

 

遊びを通じて学ぶスタイルの幼稚園からの進学で

・学校で何をする時間か全て決まっている。

・じっとしていなきゃいけない時間。

に最初の頃、息子は耐えられなく

(子どもは柔軟だから意外と早く対応できたけど

私が、公立学校の方法に疑問を持ち批判的だったのも大きいかもしれない。)

1年の頃は結構学校をお休みしていた。

出勤時間の決まった仕事をしていなかったこともあり

休むなら、実体験から学ぼ〜う!と

まぁ、近くの河原やら、公園や、プレーパークや

ちょっとしたお出かけ先を見つけては遊び暮らしてた。

子どもとゆっくり過ごす時間や

子どもが何かを発見するのを目の当たりにできて本当に楽しかった。

あ、そうそう、10年前に入院してから

「子どもが10歳になるまで生きていられますように。」

と思っていたこともあって、無理はせず、

子どもとの時間を大切にしたかったのもあったな。

今ではもう、多分元気です。

 

子どもにもだんだんと友達が増え、

私も定時の職につき、家におらず、

息子は家にいても暇…

そうして、この4年、担任の先生にそれぞれ恵まれたことが幸いだった。

 

1〜4年通して学校に伝えているのは大きく2つ。

「学校は幸せに生きる方法を学ぶところ」

「大切だと思っているのは、子どもたち同士の学び合い」

知識は今どきネットやらテレビやら、どこからでもいくらでも得れるけど

"何かを知ること"より

実体験や人との関わり合いの中で学ぶことを大切に思っている。

一緒に何かを作り上げたり、助けてもらったり、助けたり。

人によって、好きなことや得意なことが違って、それが面白かったり。

教科書の内容を覚えるより、大切なことがあると思っている。

だから、何かと比べて遅い、

できないは気にしてない。

先生も気にしなくて大丈夫♪

学校には行きたい!と思って行ってもらいたいし

宿題は、自分のためになると思った時にしたらいいと伝えている。

なので…

ちょっとエネルギーが足りないときにはお休みします。

クラスや先生の責任ではないし、誰も責めてません。

うちの子がちょっと、しんどくなるだけです。

(公立学校に救われている子もたくさんいる。

だから、批判や不満を言うだけじゃなく、家庭でできる工夫をしてみたい)

その時は、チャージできるようなことを家庭でしてみるね、と。

いつもできる限りのことをしてくれてありがと〜。

こちらもできる範囲でできることをしてみます〜。

 

最近は、休みたい〜と来た時に

「そうか〜、休みたいんか〜」

と聞いていたら満足し、行けることもあれば

休んで友達と遊びたい時もあれば

休んで片付けしたい時もあれば(押し付けてないよ?苦笑)

休んで旅行に行く時もあります。

そう、学校を休むことはそんなにたいそうなことじゃないのです:)

と言う気持ちも大事。

学校を休むことの重大さが日本とアメリカで違いすぎる!日本 VS アメリカ#Shorts - YouTub

これくらい(笑)

 

*ただ、休んだ時間分、子どもが授業の進度から遅れて

次の時間に優しい先生は再度説明したり確認してくれている。

風邪や出席停止なら、思う存分甘えるけど

例えば、エネルギーチャージで行かないを選択したなら

前回の確認がなくて分からなくても、それはしょうがない。

先生にも

子どもが困っていれば、家庭で確認しようと思う。と伝えています。

が、今のところ数日休んだことが原因で分からなくて困った

には、なっていなさそうなので放置。

彼にとっては、学校は放課に友達と遊ぶところ らしいので :)それでよし。

 

また、この数年を通して

宿題をしたくいないから行きたくない、

が理由だったことも多々。

宿題との付き合い方を子どもと考えたり

学校に伝えるのも手伝ったりしてきた。

(なるべく本人が考えて、伝えるようにしているけれど

相手が大人というだけで、意見を言うのは結構プレッシャーらしい)

 

唯一(今のところ)後悔しているのは

なんと、学習習慣のない子になってしまったことか!

超暇な時間が、工作したりレゴしたり(大いにはげめ!)

じゃなくてゲームになるくらいなら

机について学習する習慣もせめて1日15分くらいはとっておけば良かったと。

(好きなことに向かう集中力は多分ピカイチ。

やるべきだからする、より、やりたくてする!子に育ってくれたのは嬉しいけど

それがゲームとなると…

私に受け入れる器の種類がない 泣)

ゲームが悪!と思ってるのではなくて…

いや、まじ、うちの子暇人なんです…。

そのひま時間全てが…ってところ。

 

宿題で息子に合わせて工夫したところは

計算カードの代わりに(気が乗れば)

こちらのカードゲームをしたり

 

計算ドリルが辛いときは(気が乗れば)

文章題のどんぐり問題にしてみたり

 

音読は、最初の1回は読むけど

(ママ、その話知らないな〜。知りたいな〜。聞きたいな〜と)

(気が乗れば)繰り返しがつまらない時は好きな本を読んだり

 

漢字ドリルは(気が向けば)

息子から大人に問題を作ってもらったり

私が作ったり(虫と魚が出てくるもの)

 

宿題ではないけれど、

彼がしてみたいことはなるべく手出しせずに任せてみたり

(料理は3歳くらいから包丁を持ってみたり)

調べたいと言えば、ネットではなく水族館や海や山へ行ったり

(最近はネットの検索機能を知りしゃべって検索している)

家にある工具とガラクタは好きに使っていたり

ドライアイスも届いた日には自由に使っている)

危ない、汚い、汚れるから

と止めないようにしたことかな。

図書館にもよく本を借りに行ったり

できることをできる範囲でなんだけど…。

 

 

今回の面談では

今まで宿題はしてもしなくても自分で選べると伝えてきたが

超暇で自由な時間が、ゲームになるのは私が嫌。

せめて宿題をしてからにしないか?と子どもに伝えたところ

やり方のわかっているただの計算をする意味がわからない。

文章題ならするけど、計算の繰り返しはしたくない。と言われたこと。

(しかも泣きながら。そんなに苦痛なんかい?

彼ならすぐでできると思うけど、と先生に言われたけど

自分が納得できないことをするのが嫌らしいことも伝える。)

 

計算ドリルの繰り返しが苦痛なときは

その分、どんぐり問題や思考するような問題を親から出したいです。

または、自主学習をするそうです。

とお話ししてきた。

以前に息子からも先生に自分で伝えたのだが、

「いいよ!宿題を済ましてから出してごらん」

とお返事いただいて…

やりたくない、

計算ドリルとかやりたくないからできん。

と喧嘩になってしまいました。

今まで習慣をつけてきていなかったことも原因なので、

勝手なお願いなんだけど…

もし、息子が宿題をせずに自主学習しているなら、それを私も認識しているし

宿題をせずに本人が困ることになっても(とは思ってないけど)

それは、彼が選んだこと。と本人に選ばせたこと納得しています。

未提出で成績に響いても、本人も両親も気になりません。

1番は、楽しく学校に行ってほしい。

ただ、本人自身がやりたくてしているんだけど、

自主学習帳に返事をいただければ、励みになると思うので

他の宿題をしていなくても、自主学習長を出すことを認めてもらえたら嬉しいです。

と、“勝手なお願い“をしてきた(苦笑)

 

もちろん先生の返事は暖かくて。

 

ただ

「そんなときは連絡帳に一言お願いします。

彼が勝手にしているのか、お母さんが知っているのかわからないので」と。

え…?

え〜〜〜〜と、私が知っていてもいなくても

彼が自分で選ぶことに変わりはないから…

めんどくせぇ〜〜

と一瞬過ったけれど

「了解しました。

私がしなさいと言うことはなくて

彼が自分で決めているけれど…確認するようにします。」

先生が心配なのは何かを聞きそびれたのだけど

子どもが勝手に決めない方がいいと思っているのかな?

でも、それ以上は時間もなく

息子と私の思いと行動は認めてもらえたので、

一言くらいならオッケーオッケー👌と。

自分で宿題を決めるときは教えてね〜〜と連絡帳にチェックを始めた。

 

ここで気がついたのは、

宿題チェックや、

本人の習熟度に合わせた学習を

定着させたり、計画したりするのって…

めっちゃ大変やん〜〜

めんどくさいやん〜〜〜

子どもの学習ちゃんと見てる保護者ってすごいやん〜〜〜〜><

 

そして、先生も何かが心に触れたのか?

自主学習だけの日があまりなかったのですが

自主学習だけの日が増えてきた。

こんな感じ

 

好きなことだから、楽しそうにしている。

ありがたい〜〜♪

 

各学校や、家庭や、保護者の事情も考え方はいろいろで。

だからこそ、ごちゃ混ぜの公立学校は面白いと思うのだけど、

考え方が違うから。

でバッサリ切っちゃうのも、寂しいと思う。

自分の身を守るには、それが大切な時もある。

そして、本当に何かを決めるときに大変でもある。

私も、考え方が違うからしょうがないな、自分で気がつくしかないな

って思う時もあるし、

私自身も

きっといく人かの知人にはそう思われていることだろう。

 

友人は、クラスの人数が少なかったこともあると思うが

宿題いらんくね?

と、納得した保護者たちで

(入学前にどんぐり体験会にも全員誘ったらしい。)

校長先生たちに、宿題いりません〜!と交渉。

宿題なし希望の家庭は宿題を出されないことに。

これはこれですごエネルギーだ(あっぱれ!)

宿題いる?いらない? | 生理大好きハッピー☆ 愛知

 

息子の学校1クラス28人×3クラス

小学校の頃は宿題はいらん!と思ってるけど

(中学でも、それぞれが自分に必要な学習を選べたらいいなと)

すべての子に宿題が必要ないか自信はなかったし

そもそも、それだけの保護者を納得させるのは難しいし…

ま、とりあえず、宿題できなくて学校行きたくない 

くらいなら、個人としてできることやろか、と。

 

 

学校が全て。

学校のルールには絶対従うべき

とも思ってないけれど、

歩いていける場所に誰でも行ける学校がある(しつこい?)のは

本当にありがたい。

うちの子だけじゃなく、

いろんな環境の全ての子どもたちにとって何がベストかを常に考えて

先生たちも頑張ってくれている。

子どもも、保護者も、先生も同じ人がいないのだから

こう思っているよ。こうしたいな。

を伝えてみて、

相手が何をしたいのかもちゃんと聞く。

そうして、目的が同じなら、大切なことを確認しながら

間の道を探ってみる。

自分にできることも伝えてみる。

 

学校のルールが全てじゃないからこそ

ただ盲目的に従うでもなく、

ただ批判するだけでなく

お互いにできることをしていけたらいいなと思う。

 

私はまだ、学校のためにできてることはないんだけど…

地域のこども会に入ったり

朝のママ図書メンバーになったり

トワイライトでボードゲームを持って行って子どもと遊んだり

学校や地域を知ることから始めてみた。

 

みんなそれぞれが、それぞれの場所で頑張っているんだな〜

と思ったら、

 

「全てを人任せにしない。

できる人ができる時にできることを」

そう思ったら、

少し優しい気持ちになれませんか?

 

私は自由な学びに憧れも持っているし

ちょっとだけ体験もしてみたし

そんな環境を子どもたちにも

と、今も思っているけれど…

 

ある時

目の前の相手を尊敬せず

批判する自分の姿に姿にハッとした。

これは、教育に関してというより

食をよりよくしたいと活動をしている自分を見て気がついた。

子どもに見せたかったのは

「自分が正しいと主張し、他者を批判する」背中じゃない。

「たった一つの視点だけで、相手を軽んじる」姿じゃない。

「それぞれの良さを認め合え、尊敬しあえる」社会だったはず。。。

 

だから、1番近くの公立学校に通うことを決めたのかもしれない。

相手を知るために。

理想とする学校に通わせることができたらそれもよし。←羨ましい〜!!!!

だけど、

地域の公立学校に通うことにしたならば、

それは誰かに強いられたことでもない。

自分で決めたことなのだ。

目の前で、

一生懸命に働いている人たちへの

まずは感謝と、自分にできることからしてみようかと。

 

完璧じゃない自分と子どもと同じように

私たちの社会も常に成長中なのだ。

 

まずは、

学校に完璧を求めるのやめ

正解を求めるのをやめてみても良いかもしれない。

すると、

学校に、社会に、そこまで強いられてないぞ?

って気がつくかもしれない。

 

強いているのは自分自身なのだ。