あそびとくらす

遊びと暮らす 遊人クラス 日常の中にちょっとした遊び&スパイスを。日常の中からちょっとした学びを。

教育って??対話って?? ①

夢見る小学校の

卒業生保護者の友達が、とても素敵な会を開いてくれました。

彼女も素敵だけれど、

一緒に準備されていたお母さん方も暖かくて、

若者も生き生きとしていて

とても素敵で暖かい会でした♪


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かつやま、きのくに
子どもの村の卒業生のトークライブに参加した後

ご飯を食べながら若者たちと

フォイスコーレについて語り合えたらよかったけど…

お伝えするだけで終わっちゃった…。

前回お伝えした時↓

自由な 学びの その先に(フォイスコーレinデンマーク) - あそびとくらす

 

*************

 

初めて映画を見てから1年。
何とな〜く

夢見る保護者も増えてきちゃったような気がしていたけど…

卒業生の言葉が

色んなことを表していているようでした。

 

「教育に正解はない。
この映画が学校の全てではない。
公教育が全てこうなれば良いというわけでもなく、合う、合わないもある。
選択肢の一つとしてあるのが良いと思う。」

 

そんな回答が
卒業生の中から出てくるのが素敵だな♪ と。

「子どもの村で過ごしたからと言って
なんでも自分で考えて行動するかと言えば
それは、その人の気づきやペースがある。
この学校に行ったからと言って
この学校に入れたからといって…」

と、言葉を選ぶように話してくれる子を見て


ああ、映画を観た後に
そんなふうに感じさせてしまう保護者もいるのかな…と。

(私自身も、こんな学校が増えたらいいな♪

と思うと同時に

どうして、名古屋の公教育はこうではないのか

公教育が古いのだ、悪いのだという保護者を見て違和感。

責任を外に向けて攻めるではなく

誰かに丸投げして解決しようとするのではなく

解決できる道を探りたい…そんな姿勢を大切にしたい。

そして、開催した友人も、

一緒に参加した友人も

そんな仲間だと思っている。)


正解はひとつじゃないよ。
人によって違うよ。
人によってペースも違うよ。

それが分かっているのは子ども達の方かもしれないな。
と感じました。

 

私たち自身には、何ができるのかな?

そんな視点で振り返った時に

「人によってそれぞれ違う。」
それって本当に学校だけで教えることなのかな?
家庭や地域での
自分(保護者)の在り方や接し方でもずいぶん変わるんじゃないかな?と感じました。

 

後日、「その子に影響を与えるのは学校環境じゃなくて、家庭環境では?」

と卒業生からの意見があったことを拝見し、大きく頷きました。

その人に影響を与えるのは

家庭であり

学校であり

出会った人たち全てだと思うから。

 

そうして

学校は、その子が大半を過ごす場所だからこそ

そこを選ぶ(ことができる)家庭環境が大きいとも思います。

一般的な公教育以外の学校を知る情報アンテナ

選ぶ際にも、夫婦で価値観が一致しているかどうか

引っ越せるのか、通えるのかの経済状況

何より

そこを「選ぶ」。

 

最近、

私が1番必要なのじゃないかと思っているのは

本人はもちろん、保護者の

「自身が選んで通う・通わない」という意識じゃないかと思っています。

きのくには、もちろん

「そこを選んで、子どもと大人たちを信じて任せる」

決断をしないと通えません。

もちろん任せた自分も信じていないと、不安がつきまとうでしょう。

「誰か(例えば、きのくにの大人や堀さん)を信じて任せる」

ことができる人は

子どものことも

「信じて任せる」

ことができる人じゃないかと思います。

そんな人が多いように感じました。

そういう意味でも

「家庭環境が与える影響」=信じて任せることができる保護者がいること

はとても大きいと感じています。

 

同じように、長く過ごす学校の影響も大きいと思いますが

地域の公立小学校も

近くだから、でも、校区だから、

でも何でもいいんだけど

誰かに強制されたわけではなくて

それはれっきと「自分たちが選んで通わせている」のだと思います。

そう、思えるかどうかで、

子どもが感じ取ることも違ってくると思うのです。

好きで通っているわけじゃないし…と思えばそれは伝わるし

ランドセルもマスクも宿題も強制されてるわけでもない。

嫌々何かをしていれば(通わせていれば)それは伝わるし、

まぁ強制されてるわけでもないから

行きたくなけりゃ行かなくてもいいのだと思っています。

(行かないと選択しているだけと思うだけで、楽になるよ〜)

ところが、

この1番近くの学校をあえて、選んで通っているのだ

これは自分で選んだ学校なのだと思えたら

少しでもいい学校やいい地域にしよう、協力しようと思えませんか?

小さな当事者意識、みたいなものだけど。

対話して、理解し合いたい、と。

 

そういう意味で

公立小でも、きのくにでも、フリースクールでも、オルタナティブでも

ホームスクーリングでも

自分で選んで、信じて任せているんだ。

自分で選んで、通っているんだ。

自分で選んで、通っていないんだ。

そんな当事者意識があるならば、

どこにいても、もしかしたら「大切なこと」は同じなのかな。

と、思うに至っています。

 

もちろん、子どもの村学園のように

「対等に、対話して理解し合おうとする場」

がある学びの力はとても大きい。

自分の自由を主張する時

相手の自由も踏みにじっていないか?

何か意見の対立があった時、

相手はどう感じて何を思っているのかをちゃんと聞く。

ちゃんと聞いてもらえる。

すべての子どもたちがそんな環境を選べたらいいなと思っています。

 

卒業生が

「大人や保護者が何が1番大変かって
手を出さず見守ることって言ってました」と。

 

本当に!!!

口を出して叱ることが悪いわけじゃない
そんな大人ももちろんいるし、
いてもいい
ただ、
信じて見守る環境の先に
[いろんな人がいるから。その人のペースがあるから。]
そう言って、
お互いの自由を認め合える大人になるであろう若者がいる
ことが、とても幸せだな、と思いました。

 

改めて、

いい学校だなぁ、

通って欲しかったなぁと感じています。

 

小学校入学前に、見学に行ったけど

「絶対楽しいと思う。好きだと思う。

けど、家族みんなで暮らしたい。

パパと一緒に住むの。

(パパが名古屋なら)名古屋の学校でいい」

そういった息子に「ちっ」と残念さを感じたけど

自分にとって大切なのは何かを

自分の言葉で言えた彼は

それはそれで、彼なのです。

 

 

それぞれの場所で、(家でも、学校でも、フリースクールでも)

それぞれの子達が

それぞれの方法で

幸せに生きる方法を見つけていけるといいなと思う。

どこにいても結局は一緒。

あなたがあなたでいるだけでいいのだ。

そういってもらえる場所があるだけでいいのだ。

そういってもらえて安心できる場所は、

家庭でも、学校でも、学童でも、どこでも良いのだ。

そういう意味でも、家庭環境も大きいんじゃないかしら…と。

 

どこか1つだけじゃないんだけど。

 

追記:家庭で、意見を尊重されて過ごしてきた子にとっては

公立小学校に入ると(社会に出ると)

「やりたいことができない」「意見を尊重されない・しない」場面が多くて、

なんだか過ごしにくい雰囲気だなと感じることも多いのかもしれない。

学校に行かない選択は、悪いことではないと思うし当たり前なのかなとも思う。

かといって、学校に違和感を感じないのは

家庭で意見を尊重されてないからといってるんじゃないよ。

その子の特性や、タイミングやご縁や色々。

 

だから、どこにでもいい、

自分らしくいられる場所があったらいいな、っていう。

 

きのくに子どもの村学園を知るなら…

新装版 きのくに子どもの村の教育: 体験学習中心の自由学校の20年    体験学習で学校を変える―きのくに子どもの村の学校づくりの歩み    中学生が書いた消えた村の記憶と記録―日本の過疎と廃村の研究

 

堀さんを知ってから読んでみた本

私は教育学部卒でもなく、ニイルも知らなかった。

(全部読めてないと思う。。。)

新版 ニイル選集〈2〉問題の親   問題の子ども (新訳ニイル選集)