夏休みのしおりの一番最初に
園長先生が、レイチェルカーソンのセンスオブワンダーの一節をあげてらした。
久しぶりに、また読みたいなと思って、書棚を見たが見つからない。
さて、誰かに貸したままだったか・・・?
断舎利はしない(これはできない)はずなんだけどなぁ。
→見つかってよかった
私が初めてレイチェルカーソンを知ったのは
かの有名な「沈黙の春」にて。
(ご存じない方は、是非に。1962年の発刊で古いですが、化学薬品による環境破壊への警告を広く知らしめたものだと思う。カップめんが大好きな父が輸入のフルーツだけは怖がっていて(残留DDT)、たぶんこの本の影響が大きかった)
自分たちが、「環境を破壊しながら暮らしている」ことを意識し始めたのは、風の谷のナウシカを読んだことがきっかけですが、
自分の暮らしとしては、ごみを減らす、リサイクルする、くらいしかできないし、環境団体や環境教育に少しばかり関わってみて、その啓発行動自体が「ごみ」を生み出しているんではないか?と悶々としていた時期もありました。
それが子どもと暮らすようになり、
子どもと一緒に、ごみを拾ったり、なるべく袋をもらわない、農薬を使っていない食べ物を購入する。作る。など。
子どもとは共有できても、一番身近なパートナーに伝えることがなんと難しいことか!
と思い始めたのです。
だって、育ってきた環境も考え方もちがうんだもの。
(同じ人なんて二人といないのにね)
よほど、母国語が違う登山やキャンプ好きのサラリーマンやバックパッカーの方が一緒にいて楽だったんじゃないか?ってくらいに。
が、
そのうちに、豊かな地球を残したい、優しい未来をつなげたい、と思っているのに、
なんだ?この「世界平和を訴えながら、平和を望まない人と戦争する」みたいな自分の言動と発言は?一番、厄介やんか!と思うようになり、
大切なのは、「身近な人と仲良く過ごす。心地よくすごす」かもしれないな~と
今のところ、落ち着いています。
以前ほど、「ごみが」「プラスチックが」「農薬が」と言わず、
自分も、「ま、いっか」と過ごしがちなこのごろです。
さて、そんながっつり「環境に優しく」暮らしたかった私ですが、
この「センスオブワンダー」と「沈黙の春」は著者が同じだから引かれたわけではありません。
子どもと週1回、1年間通った「森のようちえん」の行事に使われていた題名だったことから知りました。
「駄目」「ダメ」で子どもを縛るのではなく、
子どもが本来持っているセンスをどう伸ばすか。いえ、つぶさないか。
本当は誰もが持ってるし、私たちは、忘れかけているだけかもしれない。
生まれながら持っているその感性を潰すことなく見守りたいと思った
はずなのに、いや~、ここ最近忘れかけていましたわ(苦笑)
この本はやっぱり手放さずに、ときどき読み返そう。
私自身が、疲れたときに
自然に帰りたくなった時に
大自然と呼ばれる場所ではなくとも、
足元のその命の輝きを思い出せるように。