あそびとくらす

遊びと暮らす 遊人クラス 日常の中にちょっとした遊び&スパイスを。日常の中からちょっとした学びを。

知的好奇心を刺激する 友達と 習慣についての小ネタ

我が家は

私が「宿題はするもの」

と決めつけてかかるのが嫌いで

入学当初から「宿題は自分や先生との約束。」

自分のためになるし(なるよ)、やりたいと思ったらやったらいいよ。

したく無いのに無理してやるのはただの手首の筋トレ。

しなくてよし。

というスタンスだったせいか

「宿題をする」という習慣がない。

今思えば、

筋トレは習慣という一番の財産

になったんじゃないかと少しばかり後悔しているんだけど

時すでに遅し。

気がついた時には

「ママは宿題しなくていいって言ってたじゃん」

と、

「言われてする」のと同じように

「言われてないからしない」

理由に使われていた。

 

おいおいおい!

自分で考えてから、するのかしないのか決めてほしかったんだよ。

言われるからする、も

言われないからしない、も

同じやないかい!!

しかも、言われなくともそのうち動くようになるんかと思っていたら

どうやら、言われるまで動かないようだ。

言われなくとも動ける子は、どんな時に動いたらいいか

もしかしたら言われ続けて身についているのかもしれない。。。

 

そう気がついた私は、

息子が小学3年になってからやや方針を変え始めた。

我ながら、気がつくのが遅すぎる。

(これは長くなるからまた今度。)

 

さて、現在。

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起床した息子が一番に触るもの、レゴ

帰宅した息子が一番に触るもの、テレビかレゴ

食後に息子が触るもの、テレビかレゴ

 

レゴもいいんだよ?

いいんだけど、もっと他に好奇心を刺激するものあるやろがい?!

色々周りに散りばめてみたけど

どうやら私が散りばめると、勉強色を感じるらしい。

 

季節の食材も

借りてきた伝記漫画も

実験対決漫画も

幼年童話も

その辺に転がっている。

いや、触られることなく陳列されている。

(うちに泊まりに来た友達4人くらいは

漫画を読む読む読むわ〜…だよね?面白いよね?)

 

空手教室も、剣道教室も、サッカーも行かなくていいというし

(経済的にも、送迎的にも助かるが)

プログラミングも初めて数ヶ月で辞めたし

さて、どうしたものかしらね…と思って1年半。

 

先日久しぶりに会った友達が

「これわかる?難しいんだよね」

と塾で出た問題を紙に書いて渡してくれた。

 

「どれどれ?」

と紙を受け取ると

その場で、駐車場で問題を読み解き始めた。

「割り算の筆算習ってる?」と聞かれた息子は

「習ってない。知らん」と答えた。

「習ってないと難しいかもな〜」と友人の母フォロー。

が、駐車場からランチの場所に移っても、借りた裏紙に何かメモをとり

ランチの後も、友達と「じゃ、解いてみるか!」と。

 

こんなに集中して息子が問題を解いているのを見たことがなかったし

楽しそうに、友達と考えている彼をみるのも初めてだった。

数十分後

「わかった!答えは〇〇?!」

そう言った息子の顔はキラキラしていた。

「あってる?あってる?」

その時すでに関心が他に移った友達は本を読み始めていて 笑

私が問題を見てみたら、

確かに

難しかった。

 

4桁の割り算はまだ習っていないのか?(知らんけど)

何やら数字が並ぶ。

どうやって解いたの?

と聞いてみたら、

なんと!!

オリジナル筆算を生み出していた。驚

友達にも、解き方を説明していて

なるほど〜〜!と友達のお母さんに言われた時は

とっても嬉しそうだった。

あんまりにも嬉しそうだし、楽しそうに解いていたので

(ついつい、出しゃばりな母の顔が出て)

「ねぇ、R君の塾、こんな問題が出て友達と解くらしいよ。」

R君「楽しいよ!」

行ってみる?と聞いたが

速攻で(レゴのがいい)行かない。との返答。

月に1回はR君に会って、彼から問題を出してもらいたい。笑

 

いろんなことを知っていて

空手も、英語も、歴史も興味の幅が広い。

どうやって、食いついたの?続いてるの?

と聞くと

したい、したくないの好みがつく前

つまり未就学の時から「するのが日常」に持っていったみたいだ。

くぅ、習慣!!!

アリストテレスよ!!

人は習慣によってつくられる。優れた結果は一時的な行動ではなく、習慣から生まれる。

 

我が家が習慣として落とし込めているものはなんだろう…?

歯磨きと朝のトイレ…?苦笑

 

 

さて、

一緒に遊ぶと楽しい友達がきっかけで

興味や関心の幅も広がるかもしれない?

ドラムも始めたきっかけは友達だった。

家庭学習や習い事を習慣として取り入れることに失敗した我が家だが

友達の影響で、(レゴもいいけど)レゴ以外にも

好奇心の芽が芽吹いてくれたらいいなと感じた春だった。

友達の力はすごいね!!

 

 

=以下小ネタ=

 

ちなみに私が宿題をするかしないか子どもに任せるスタンスになったのは…

多分、子どもの頃宿題が嫌いだったんだろうな〜

と思い返してみるも、

小学校の頃は宿題が大変だった記憶がなく

おばあちゃんとお話しできる時間、話題の時間だった。

中学に入ってからも、

宿題を親から強要されたことはなく

宿題するより家事手伝いをしなさい。

の家だったので、

帰宅後(と言ってもこれまた部活が恐ろしくハードだったので夏は19時頃帰宅)

茶碗を洗い、風呂を洗い、食事を作り、茶碗を洗い、洗濯をしていたら

正直、宿題なんかする間も無く

宿題は授業中に暇を見つけてする

できませんでした、と言って

社会の先生に竹刀で叩かれたり

数学の先生に職員室で正座させられて解かされる

かだった。

今思えば、体罰だって言われるよね……

当然、中学校の思い出は苦しかったり辛かった

ばかりかといえば、

人間よくできた生き物で

辛いことは忘れる生き物で、ネタにできるくらいにはなった。

竹刀で叩かれていたから、「していくもの」だったんだろうけど

(家事に)忙しくてできないし

それ(家事)以上に大切とも思っていなかったのだろう。

受験期も、自分の行動を記録して提出するシステムだったんだけど

帰宅後はほぼ家事。(とテレビ。部活がなくなって時間ができた)

堂々と家事と書いて、宿題はせずに登校していたように思う。

あ、それた。

宿題が嫌いだったかといえば、

さほど嫌いでもなく、していくものとも思わず

今思えば、あの頃ちゃんと宿題を通して

定着させる習慣をつけていれば、もう少し、

いやかなり賢くなっていたのかもしれない。笑

知識を定着させるのには必要だったな〜と思う。

 

生活するのにしなきゃいけないことが多かったので

学校から帰ったら、

すぐにしたいことばっかりしている息子が羨ましくもあり

もう少し、生活のための家事を振りたくもあり。

知識の定着も大事なんだよな〜と思ったり。

 

やるのが当たり前=習慣

を押し付けてる感なく

習慣にするのって難しい。