あそびとくらす

遊びと暮らす 遊人クラス 日常の中にちょっとした遊び&スパイスを。日常の中からちょっとした学びを。

父、たかい

父が他界した。

ここで書くことでもないのだけれど。

 

書くと長いが、(だから詳しくは書かない)

もう長くはないのかもしれない

と家族もぼんやり思っていたから

そんな突然に?!!

みたいなびっくり感はなかった。

コロナ禍において、入院中の父と会えることなく半年過ぎていたのだけど

この世を旅立つ1週間前に、

私が私だとわかる時に、

父が父の77歳の誕生日だとわかる時に、

会えた。

 

生きてることは苦しいのかもしれない。

そう思いながら

 

生きててくれてありがとう

と言った。

父さんに

生きることを、

苦しいことを

強いてないんだろうか

とチラッと思った。

 

7日後、静かに息を引き取った。

 

*******

 

「私は父さんの子で、田舎で育ててもらってよかったよ。

ありがとう。」

そう初めて、父に心からありがとうと言ったのは

父が初めて倒れた4年前だった。

その時に

三途の川を見た父はこういった。

「大学の時の(今は亡き)親友が

遅かったのう

って言っったから

いやまだ行けん。

やることがある。

っていうたら

そうか。って消えた。

消えてくれてよかった。」

 

やることって何?と聞いたら

身辺整理だと父は言った。

 

え?そんなんすぐ終わるじゃん。

終わったら死んでもいいん?

 

と、元気になった父と笑って話した。

その後も身辺整理は進むことなく

山や農業関係や、父しか分からないことをたくさん残したまま父は逝った。

 

もう、父さん、

身辺整理しとらんのに死んでしまったじゃん…

泣き笑いし、通夜と葬式を済ませ

自宅に戻り生活していた。

心の準備をしていたら涙はそんなにでないんだな

と思っていた。

 

しばらくして、カウンセリングで

「お父さんはどんな人だったんですか?」

と聞かれ

思い出しながら話していたら

なんだか泣けてきた。

父さんとの楽しい思い出

は少ないけれど

父さんはすごい人だったんじゃないか。

私が知っていた父だけじゃなく

いろんな顔の父がいたんだな。

もっと、父さんにありがとうって

生きている時にちゃんとありがとうって

気がついて言えていたらよかった。

 

そう思ったら、もう涙が止まらなかった。

 

 

心の整理のために

と、

そう、父を知っている誰もこれを読まないだろうし(姉以外)

私の父さんもすごいんだぞ〜!と知らせるためでもなく

ただ、

普段はクーラーが効いてる部屋で本を読む父さん

だと思っていた父の、

本当はすごかったんじゃないか?

私たちのためにいろんなことをしてくれていたんじゃないか?

ってことに気がつけなかった私だけど

ここに書くことで、

他の人(例えば母、夫、義両親)にありがとうを日々伝えよう

ってことを思い出すように。

 

涙は、

寂しい 

と気がついた時にでるんだと思った。

ありがとうって気がついた時に、

しかし、もう伝える相手がいない時にでるんだ。

 

ありがとうって伝えることができる時には

小さなことでも、大きなことでも

何度でも伝えよう。

伝えたらいいんだよ。

 

ありがとう。

 

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父の葬儀の翌日に。

死ぬ命もあれば産まれてくる命もあるんだね

と呟いた私に

「え?虫だけど??」

と驚いた姉が言った。

 

ええ、虫でした。。。

大雨だったけど、

数時間後に見に行ったら

オニヤンマはちゃんと飛び立っていた。

 

初盆で帰省したときに

田んぼの水路を見に行ったらオニヤンマが回っていた。

 

父さん、元気になったらどこ行きたい?

3年前に聞いたら

「田んぼ」

え?田んぼがに行きたいの?

「そう。田んぼ。水が気になる。」

日常が一番愛おしかったのかもしれない。

 

オニヤンマが田んぼを見守っている気がした。