あそびとくらす

遊びと暮らす 遊人クラス 日常の中にちょっとした遊び&スパイスを。日常の中からちょっとした学びを。

子ども時代 父との思い出③

私は父さんとの楽しい思い出がない。

 

う〜〜ん、

正確には父が私に笑いかけている記憶がない。

一番強烈な思い出は3つ。

2つは寂しい記憶だ。

1つは小学校中学年の頃?

その頃飼っていた秋田犬の元気がなくて

心配した私は

自分が病気の時に食べているりんごなら

彼を元気付けれるんじゃないか

彼が食べられるんじゃないかと思って

おやつのリンゴをあげようとした。

噛みちぎって放っても

クンクン匂いは嗅ぐが、食べない。

あれ?おかしいな

そう思って数回リンゴを噛み切っては放った。

その時、父が農作業からトラックで帰ってきた。

我が家、人が食べるものを犬にはやるな。ときつく言われていた。

それはきっと、犬の体調が悪くなるからだと思うのだが

幼い私は「人が食べるようなものを犬にあげるな、もったいない」

だと思っていた。

牛には人が食べ終わったスイカの皮だし

犬も、残り物ご飯と味噌汁を薄めてあげていたから。

父に怒られる!

そう思った私は咄嗟に演技した。

リンゴを犬小屋の前で1人で食べているふりをしたのだ。

怒られないために。

 

トラックから出てきた父は言った。

「お前、なんて性格が悪いんじゃ!

犬がリンゴを食べれんのはわかってるのに

目の前で見せびらかすように食べて!!」

 

その後どうしたかは思い出せないのだけれど、

父と話をした記憶はない。

ただただ、部屋で1人、私は泣いた。

食べれないのを知らずに見せびらかしてしまったこと。

何も聞かずに、性格が悪いと決めつけられたこと。

そう思われていたことが悲しくて。 

 

 

2つ目は、これまた悲しい記憶。

私が高校2年、弟が中学3年の頃だ。

その頃、弟は受験勉強真っ只中。

私の地元は高校がなく、

行くならバイクの通学許可の降りる結構荒れた普通校と

通学にバスと電車で約2時間かかる進学校を主な進学先にしていた。

(私立高校は我が家、経済的に論外。)

私は、中学の頃、1学年上の男子に嫌がらせを受けていて

(どうやら私のことが好きだったらしいとだいぶ後から聞いた)

その先輩と同じ高校に行くことなんか考えられなくて

進学校を選んだ。

選んだと言っても、塾もなく、

家に帰れば掃除洗濯炊事と家事全般が待っているので

姉と私には受験勉強の時間はあまりなかったと思う。

弟は、風呂掃除くらいだったと記憶。

(あの頃と比べて今は弟が実家のことをほとんどしてくれている)

それなのに、

食後だったか、夕方だったか

弟はテレビのチャンネルをいじりながら

「あ〜!テレビが見たい!見たい!見たすぎて勉強が手につかない!!」

「見てもいい?」

と言ったのだ。

私が禁止していたわけでもないが

「お姉さん2人は余裕でしたが弟さんはちょっと危ないかも」

と面談で言われていた父はテレビの見過ぎを禁止していたのか?

はっきり覚えていないが

覚えているのは

「見たくて勉強できないと言っているならそうだろう。

そんなものを見ずに我慢して時間だけ過ぎるより

さっさと見て、気持ちを切り替えたらいいんじゃない?」

と思って

「好きにしたら?」

と言ったのだ。

結果、弟の見たいテレビを私も一緒に見た。

見ていたら…

そこに父登場。

 

「おい!どうしてテレビを見させとるんじゃ?

自分と姉さんは受かったから、弟はどうでもいいんじゃろ。

なんて性格の悪い!!」

 

でた…性格悪いと決めつけ………

禁止していることがどれだけ逆効果かわかっていないだけじゃない?

私がそう説明するより先に

父はテレビを切り

弟を部屋にあげ、私は…どうしたんだっけ…?

 

あ、書いていて思い出した。

もっと小さい時、未就学児の頃

弟と喧嘩して、

何かの拍子に父に、お前はわざとしているんだろう、性格の悪い

みたいなことを言われて、それが悲しくて

牛小屋の屋根裏部屋に隠れていたら

誰にも見つからなくって、

眠くなってうとうとして

気がついたら夕方になって

神隠しじゃないか?”と近所を巻き込む騒動になっていて

慌てて出て行ったことを。

 

そうして、どうして嫌だったかを母か祖母に話したら

その日の晩御飯は私の好物のカレーになったことがある。

わかってくれる人がいるんだと思ってカレーを食べた記憶がある。

 

 

3つ目は、小学校脱走事件である。

長くなりすぎたのでこれまた次に。

 

さておき、

思春期の私は父に理解して欲しいけど、理解してもらえない

という気持ちを強く持っていたようだ。

 そうして、父は説明してもわからない

いや、説明したくても聞いてもらえない

と思ったようで、

心の透明な壁はしっかりと築かれ

その後の父への当たりは強くなって行ったように思う。

分かってくれないと思っていたのは、

私へのことだけだったのに

 

いつの間にか

父は世の中のこともわかっていない。

とちょっとだけ社会に出て、

“できる人“気取りになった私は、いつの頃からか

父を軽んじていたのかもしれない。

 

子どもが産まれて、

田舎に引っ越したいと思ったけれどできない(泣く)

子どもの未来を考えた時に、環境を考えた時に

あれ?父さんって、行動していた?

実は凄いんじゃない?

と思い始めたのだ。

 

その頃はもう、父の体があまり動かなくなってきた時だったけど。

 

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