あそびとくらす

遊びと暮らす 遊人クラス 日常の中にちょっとした遊び&スパイスを。日常の中からちょっとした学びを。

教えたくない病

ママがこの辺で教室したらいいじゃん。

 

息子に通って欲しいなと思っている造形教室の魅力を伝えていたら

そう言われた。

いや…私がしたいのではなく

通わせたいのだ。

答えを教えたいのではなく、

教えない場所があるといいなと思うのだ。

 

俺は、通わなくても、造形なら自分で作れる。

でも、みんなでなんか作ったり考えるなら

1人だけじゃできないし…

一緒になんでだろう?って考える、作る

そんな場所があるといいなと俺も思うし、

だったら

ママが作ればいい。

ママ、あーしろ、こーしろ教えない人じゃん。

そしたら学校の子も来れるでしょ。

俺も嬉しいし。

 

だから、作ったのだ

名古屋土曜学習プログラムを実施できるような団体を。

私が理想とする

「教えない」場所ではないかもしれないけれど

学校の子どもたちが気楽に来れる場所を。

教えるより、混ざり合って学び合う場を。

 

地区の小学校で

名古屋大学博物館の出前講座があった。

内容は3部からなっていて

・匂いのもとは何?分子模型を作ろう

・知恵の輪を作って、解いてみよう

弥生土器縄文土器の違い。縄文模様を入れた小物を作ってみよう

どれもおもしろそ〜💕

(息子は来ていないが)地域の子ども達を見ながら一緒に回った。

 

知恵の輪を作った後に


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「わかんな〜い」「できな〜い」

と聞き、

 

「うふふふ、考えてる考えてる🎵」

とほくそ笑み、一緒に知恵の輪を解いている私の横で

 

「この動画のリンクの答えを教えたらどうですか?」

 

とスタッフの1人。

え????

この分かんないけど考えている時間が楽しくない?

一生懸命考えてわかった時がスッキリしない?

と聞いたら

だって、分からないから知りたいんでしょう?

教えてあげたら、やり方がわかって、次も自分でやってみようと思えるでしょう?

と。

おお〜〜!!なるほど!!!!

そんな人もおるのね?

 

私は自分でなんとかできそうな時は、

やり方を教わりたくないし、

(習いたくないという意味ではない。師匠は必要)

教えてもらったら、その時は分かるけど

あ、そっか!と、なんだか面白みが失せて

もう一度自分でしたいとは思わなくなる"たち"なんだな、と。

 

知恵の輪を考案した名大生も

「動画のリンクはお渡しした紙にも貼ってあるから、

見たい子は家に帰ってみれると思います。

ここでは、あえて解き方を教えません。」

それでいいと思った。

もし、教えたい学生さんだったら教えているだろうし

それでも聞きたくない子は聞かないだろう。

教えたくない学生さんなら、教えない。

聞きたい子は聞くだろうけど…教えない(笑)だろう。

知るためのツールが用意してある所が親切だなと思った。

 

早速、スタッフ1人は動画を見ていた。

きっと、教えたい人は、教えてほしい人に教えるのだと思う。

 

教えないことで、得られることもあって

それ(自分で考える力)が大きいとずっと思ってきていた。

 

息子は、休んでいた間の学習もしていない。

分からなくて困ることはない。

「しらないな〜」ってだけだからって。(苦笑)

知らないことは恥ずかしいことではない、

知らないことを知ってるってことだから。

聞けばいいんだから

と伝えてきた。

同時に

教わること、習うことは価値はないと伝えたつもりはなかったのに

人に教えをこうのが苦手なんだなと感じることが最近ある。

 

教えてもらうことで要領良く生きる知恵もあるし

何より、誰かに素直に習えることは

その力自体が

自分で考える力があること同じように宝物だと思う。

 

教えたくない=自分の力で考えてほしい

も、いきすぎると

病だったわ。

 

バランスって大切。

 

もちろん突き抜けたトガリも愛してますけど。

トンガリ切れない自分には、バランス大事。