資源ごみの日、
袋に包まれた洋服を見ながら・・・
まだ使えそうな家具を見ながら・・・勿体無いなぁと思って見てしまいます。
学生時代はそれはそれは苦学生で(高校生の頃の主な収入源はプールの監視員)
3年まではアルバイトの掛け持ちをしてました。(いや、やりたいことがあったからなんだけど)バイト時代は朝の温泉旅館+家庭教師三軒+終わってからの夜の和食居酒屋みたいな感じで、今思うといつ授業を受けてきたんだろう…
が、研究室付属になるとそんな時間もなく、朝から晩まで実験室にこもる日々・・・。
主食は実家からの米とパン屋さんでもらうパンの耳でした。
(余談。パン屋さんでパンの耳をもらうため、パンを一つ持ってレジに並んでいたときのこと。前の人が大量のパンの耳を持っていて「あ~この人も頑張ってるんだなぁ。私も一緒ですっ!と妙な親近感を持って話しかけようとしたら・・・
「いつもパンの耳、ありがとうございます。これ、耳で育ったうちの鶏の卵です。どうぞ!」
と言って、卵を10個くらい渡したのです。
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・・・・・・・・
鶏かいっ!!
わたしもパンの耳食べてるんですっ て、話しかけなくて良かった!!
と誰にも見られていないのに、穴があったら入りたいと思った瞬間でした)
さて、そんなバイトもできない研究室生活のころ、
卒業シーズンの粗大ゴミの日は、何をゲットしようかとワクワクでした。
ある夜、粗大ゴミの日にふら〜っと出歩いてると、
リカちゃん!!
見ると友人の彼氏が…
ぎゃっ、何してるか怪しいか??どうしよう?と思っていたら、
リカじゃ〜ん♪
と、友人もひょっこり♪
3人で、「これまだ使えるよね?!」と盛り上がりながら、彼らは確かテレビなどを。
私は小さな椅子とトルソー(出来上がった服を着せる人形上半身)とポットと卓上コンロを手に入れました。
そんな感じで生活贅沢品、確かその頃の必需品(自前で買った最低限のもの)は、洗濯機と冷蔵庫。自宅から持って出たのはラジオ。テーブルは最初ダンボールだったので・・・
今でも、使えそうな粗大ゴミがあると勿体無いなぁと思ってしまいます。まだ使えるものは人に回すといいんじゃない?って。
それでもやっぱり、使わなくなったものをあげたり、もらったりは、あんまり上品な行為ではないのかなぁと思う日もありつつ・・・
ま、いっか!の精神で
我が家からも冷蔵庫の買い替えをした時には知り合いに「いりませんか~?」と発信し、取りに来てもらったり、
プラレールなどもSNSを使って知り合いに譲ったり
レゴは譲ってもらったり。
たまには、ぐるぐるするのもいいんじゃないかな?
(経済としてはより良いものを買って循環かもしれないけどね~)
と思っています。今のところね。
そして・・・
もしかしてもしかしたらだけど・・・ミシンがもらえるかもしれんのですっ!
さ来週に続く・・・
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可愛い子には旅をさせよ?させられたわけではないが・・・
学生時代から今までにしたバイトやパートも思えば結構いろんな種類をしている気がする(正規雇用を除く)
・プールの監視員
・朝刊配達
・道後温泉の朝のレストラン(着物を着れるようになりたかった)4時出勤
・道後温泉の布団上げ(人手が足りない時にレストランから回される)4時出勤
・家庭教師(小5から高3)
・マネキン(スーパーの日雇い売り子。パンとかソーセージとか)
・酒の促販 スナックや居酒屋へ超ミニスカートを着て(なぜにミニ?!)
・結婚式や宴会のホールスタッフ
・スナック(1度だけ友人のピンチヒッターで。難しかった!!)
・カフェホール・和食居酒屋ホール
・みかんの摘果・農作業
・実験補助・TA
・地方新聞&地方情報誌のライター
・年末年始の酒造元のキャップ閉めやラベル張り
・地域特産品のネット販売市場調査
・環境教育市場調査
・家政婦(掃除)これ、今も。
・和食レストランの調理場
・科学館スタッフ
・テスト監視員(1日バイトを何回か)
どんな仕事もしてみて、はじめて分かることがあるし、向いている向いてないもあるなぁと。そして、どの仕事もプロはすごいっ!!
バイトながら、どれも学びがいっぱいで楽しく、期間やり切れたのは、周りの人が助けてくれていたからだなぁと思う。
もっと早くに働き出していても良かったと思う今日この頃です。高校には、みんなが行っているからなんとなく行ったというありがたくも罰当たりな輩だったから・・・。