3つ目の思い出も忘れもしない
小学校6年生の頃。
その頃、私たちの学年では
「僕らの7日間戦争」がブームだった。
“私たち“と言っても
田舎の複式学級の5、6年生
たったの6人だ。
私、なおちゃん、りょうくん、みほこちゃん、みかちゃん、あきちゃん
いや、正確には5人が地上波で見て……
僕らの秘密基地を作るのに憧れていた。
休みのたびに秘密基地の候補を探した。
1回目は、学校から少し離れた山への入り口。
川下からどんどん登っていく…途中で
お地蔵様を見つけて
「なんか、ここは入っちゃいけん気がする」
と引き返した。
そう、田舎の子は意外と信心深い(怖がり)のだ。
お地蔵様の前を通るたびに挨拶し
お地蔵様の前かけを、おばあちゃんから「新しいのに変えてきてね」と
頼まれて、かけ直したり、
ある時は顔が後ろを向いたお地蔵様に気がついてギョッとし
なんでこんなことに?!
誰かが当たって落として急いで戻したのか?
直したいけど、触るのが怖いっ
と、
せーの!と声かけてみんなでお地蔵様に手をかけて
顔を半周させて戻したり。
思い出すたびに大学の同級生が
「天然コケッコーみたいな生活だったんだね」と
言ったことも思い出す。
なんだかんだ
見えないものを敬い畏れ、怖がる下準備はできていた。
2回目の探検は小学校の裏山。
もともとそこは鉱山で、穴がポコポコ空いていた。
横穴が多かったけど
囲われて立ち入り禁止の囲いがある場所は下穴が空いていたんだと思う。
5、6年生の7日間戦争に憧れる5人とその弟妹たちで
山に入った時だ。
ある横穴に立ち入り禁止を表すような縄が引いてあり
紙垂がかけてあった。
ん?
ここには入るなってことかね?
そう言いながらみんなその横穴を避けて
基地にできそうな所を探してうろついた。
しばらくして、疲れた〜という弟たちがではじめたので
立ち止まって、これからどうするか話し合っていた。
ふと気がつくと、弟の蹴った土が何かにかかっていた。
ん?
お地蔵様だ〜!!!
キャッ?!
お地蔵様は紙垂のかかっている横穴の上にある〜!!
気がついた私たちは凍りついた。
こ、この穴には何かいわくが…?!?!
ぞぞぞぞ〜〜〜っとした私たちは
もう基地にする場所を探すのを諦めて
そそくさと解散した。
その1週間後、よもや急遽基地を作りたくなるとは…
**********
小学6年の担任は、足が不自由な男性だった。
今思えば、足を引きずりながらでも体育も頑張って指導する先生だった。
頑張りすぎていたのもあったと思う。
体育の逆上がりの練習の時に、
どうしてもできない児童数人に
「そうじゃない。ここはこうしてこうやるんだ」
と先生が丁寧に口で説明してくだっさった時に
「でも先生だってできんじゃん」
と誰かが言った。
「ふっ」と鼻で笑った子と
「はっ」と。
それは言っちゃいけないんじゃないか?と
先生に聞かれちゃいけない。失礼じゃないか。と思った子と。
全員が笑ったわけではなかった。
が、
先生が突然怒りだしたのだ。
「人のことをそうやって笑って馬鹿にして!!!」
今なら先生が伝えたかったことは他にあるんんだと、分かる。
だが、その当時はそうは思えなかった。
馬鹿になんてしていない。
先生が頑張っているのは分かっていたし
笑ってなんかいない。確かに止めもしなかったけど。
できないことは馬鹿にしてないけど、
できないなら、できる人が教えてくれたら良いのになとは思っていた。
大半の「はっ」とした子は馬鹿になんかしていなかったし、
そして、(馬鹿にしていないから)謝りもしなかった。
先生はさらに逆上して
「いつも、影で笑ってるんだろう!」
とヒートアップした。
先生のことは嫌いじゃなかった。
それまでは。
その日、5、6年の児童は担任のことが嫌いになっていった。
足が不自由だからじゃない。
自分を馬鹿にしていると先生が思い込んでいかたらだ。
それからなんとなくクラスがギクシャクし始めた。
ある日の朝
畑の水やりをやりながら
「あ〜あ、今日も嫌だな〜」
と私が呟いた。
「じゃ、抜け出す?」誰かが言った。
「え?そんなことしていいん?」ビビりな私が答えた。
唯一の同級生のなおちゃんが言った。
「抜け出そうや、そいで秘密基地、うちで作ろう!!」
「僕らの7日間戦争じゃね?!」盛り上がる子どもたち。
なおちゃん家には狂犬がいた。
なおちゃんとそのお兄ちゃんに懐いている怖すぎる犬だ。
お父さんとお母さんには噛みつかないが
知らない人が来たら噛み殺す勢いだ。
(と子ども心に思っていた。)
その犬を下に放し飼いにして
梯子で上がった2階を基地にしよう。
抜け出すならいつがいいか?
空き時間が長くなるまで待とう。
何日くらい立て篭もる?
食べ物はいつ運ぶ?
ワクワクしながら計画をたて
数日立て篭もるなら勉強道具も持っていかなきゃ
と、真面目すぎる私はランドセルに全ての教科書を入れた(気がする)
抜け出した時、重い荷物は一切持たずに
学校の裏山を走り抜け
誰の目にも触れないように
なおちゃん家の2階に滑り込んだ。
なおちゃんがお菓子を持ってきてくれて
階下に犬を放った。
犬は想像以上に吠え、
吠えて吠えて吠えまくり、近づく人を咬み殺す勢いにも見えたが
何より
私たちが2階にいることを周りに知らせてくれているようなものだった。
「これは、大人が帰宅したらすぐバレるんじゃ…
移動するか」
立て篭もることも叶わず
私たちはまた犬を繋いで
隠れ場所を探し始めた。
蕨の丘、栗山、そのうち小雨が降り出した。
うちの牛小屋で雨宿りをしていたら
消防車が通るのが見えた。
どこかで火事でもあったのかな、雨だけど早く消えるといいね。
そう言いながら、そろそろ牛小屋にきそうな父の目に留まらないように
学校とうちの間くらいにあるMさんの家の近くの小川の横の用水路脇に隠れた。
雨がひどくなってきて、寒くなってきた。
しかもさっきの消防車が行ったり来たりしている。
ん?????
これは、もしかしたら私たちを探しているんじゃなかろうか…
心細くなってきた時になおちゃんが言った。
「寒い」
確かに。雨が冷たい。濡れた体も凍えてきた。寒い。
体育の後に飛び出したから体操服だ。
「そろそろ帰ろうよ。冷たいし寒いし」ビビリの私が答えた。
なおちゃんは「いやだ。寒いけど、嫌だ」とキッパリ言った。
りょう君が、着ていたジャージをなおちゃんに貸した。
3人はまた、黙ったまま身をかがめてその場にうずくまった。
しばらく経ったと思う。
「おい」
上から低い声がした。
見上げると
作業着を着た父が私たちを見下ろしていた。
背筋がギュッとして内臓が飛び出るかと思った。
なんで父さん?
怒られるっ
そう思って目を瞑った私が聞いたのは
りょうくんの声だった。
「おじちゃん、見なかったことにして。見逃してっ!」
いやいや、うちの父さんはそんな甘くない。雷が落ちるぞ。
そう思ったのに、父は
「ずぶ濡れじゃないか。風邪をひくぞ。早く車に乗りなさい」
とだけ言って、消防車を指さした。
父の顔、雰囲気がすごかったのを覚えている。
怒っているのに、泣きそうなあれは怒りを我慢した顔だった。
(心配していたのもあるかもしれないけど
後から聞いたら、怒鳴りそうな気持ちだったのに、
見逃して〜の一声に力が抜けたと)
「お〜い、いたぞ〜〜!!」
その時に一緒にいた消防団の人の顔と名前は忘れたけど
「流されてなくて本当によかった」
と何度も言っていた。
子どもが行方不明だと警察と消防団で捜索していたらしい。
子どもたちが裏山を駆け上がるのを見た人がいて
犬が吠えていたことから、そこまでの足取りは分かったものの
あとはどこを探してもいない。
雨で増水してきた川に落ちたんじゃなかろうか…
落ちていませんように…
と思いながら最後に川を確認していたところだったらしい。
いや本当、親になって初めてわかるけど
自分の子供が行方不明になって
雨も降ってきて川増水していたとなると
親の方が内臓を鷲掴みにされていただろう…。
親の心、子知らず。
さて、久しぶりに消防車に乗って
(父が消防団員だったため、乗ったことがあった)
小学校に戻ったら、校長室に呼ばれた。
3人が立たされ、どうしてこんなことをしたのか。
どれくらいの人に迷惑をかけたのか。
そんなことは言われなくても分かってる。
と当時は思っていたけど、まぁ分かってないからやっちゃったんだよね。
濡れたジャージはどんどん冷たくなってくるし
りょう君なんてジャージさえ着てない。
寒いし、お腹も減ったし、
だんだんと話が入らなくなってきた。
寒いな〜と思って突っ立っていたら
父がドアをノックして入ってきた。
「校長先生、話は後でもいいですか?
濡れて風邪をひくだろうし、腹も減っているだろうし」
後でりょう君は、「おじさんが天使に見えた」と言っていた。おっさんだけどね。
その後は、あったかい給食がとってもおいしかった。
今思ったら、給食の時間も過ぎていたし
また、温め直してくれたんだと思う。
まぁ、いろんな人がいろんなことをしてくれたんだよね。
給食の後は3人がまた校長室によばれた。
が、なぜか
校長先生も教頭先生も他の先生も
なぜかわたしに話しかけてくる。
えっと、私途中から帰りたくなってたんだけど、
一番帰ろうとビビっていたのは私だと思うんだけど?
そして、確かに嫌だな〜って言ったのは私だけど?
どうやら皆をそそのかした「主犯者」になってしまったらしい。
数日間立て篭もるなら、教科書を持って帰らないとね
とランドセルに教科書を詰めていたのが
彼女が一番しっかりと脱走の準備をしていたこと につながったらしい。
もう一つ覚えているのは
学校に着いたら
5年の時の大好きだった担任が
すぐに来て
「リカ、こんなことするまでしんどかったんだね」
と涙ぐみながら、ギュッと抱きしめてくれた。
え?
ええ?
いやいや…
えっと、楽しそうだと思ったんです。
って、言えなかった。
いや〜、本当に、
あの時は子どもたちは軽い気持ちで楽しそうじゃん秘密基地作ろう!
くらいの気持ちだったのに
蓋を開けたら、
消防車は出るし、
地区放送はかかるし
そうだよね、
担任の先生なんか自分に反発して
子どもが行方不明になったとか
いやもう、申し訳ない…
思い出したら申し訳ないって気持ちが一番に出てくるのは
それはもしかしたら
当日こそ
「話をする前に着替えさせてもらえますか?」
とは言ったものの
「先生には悪いことした。」
と、つぶやいた父の一言が大きかったかもしれない。
父の性格から、「お前が主犯か」と怒られることを想像していたのだけど
この時はそんなに怒らた記憶がない。
代わりに、先生のことを最後まで気にかけていたのを覚えている。
卒業するとき担任が
「わたしは子供たちのことを理解仕切れず…」みたいなお話をしているのを聞いて
やり過ぎたな〜、先生を辞めずにいてくれたらいいな…と私も密かに思った。
中学に行って、先生が他の学校で頑張っていることを聞き、
母が転職して学校事務員になり、母から先生の話を聞いて
ほっとした。
あれ?なぜか父より他の話がしめてるけど(笑)
父の顔をしっかり覚えている出来事は
コレ。
「おい!」
と話しかけられたあの瞬間
怖かったけど
怒られなかったな〜〜〜って。
そして、親も先生たちも
優しかったんだと思う。
そうそ、
中学に上がったときに
初めて会った先生が私をみて
「お!お前かぁ脱走した問題児は!」
と。
やっちまったことは取り消せないけど
恥ずかしかった。
だって、こんなにかっこいい脱走や立てこもりでは
全然なかったから…
息子が
秘密基地をつくりたい
というのを聞くたびに
学校の裏山も友達の家の周りも
栗山や蕨丘や牛小屋も
言うたら学校から家の通学途中全てが
秘密基地候補だったし、
その辺に木材や廃材がたんまりあった昔を思い出し
ああ、名古屋(街)は広いけど
狭いなぁ、と感じる。
どこでも秘密基地が作れる可能性(作れる力があるかは別として)
が転がってるような田舎に
昔は移住したかったんだよね。
今では、賃貸の一角に僕の部屋を作って満足している息子を見て
ま、もう街中でもいっか
と思えるくらいにシティボーイになってきたけどね。