あそびとくらす

遊びと暮らす 遊人クラス 日常の中にちょっとした遊び&スパイスを。日常の中からちょっとした学びを。

安心して学校に通えること ひとりごと

イランイラク戦争の当時7歳だった友人はイランに住んでいました。

戦争のない国で、爆弾が飛ばない中で普通に学校に行けること。

学びたい時に、学べること。

平和に暮らすために、学ぶんだろ?

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独裁政権下のトーゴから、ガーナの親戚宅に下宿、レゴン大学で工学を学んでいた友人。

トーゴの大学で学んでも、専攻は自分で決めることはできない。卒業後は公務員になるしかない。そして、自分が政権側に・・・?

ガーナなら、学びたいことを学べて、自分で進路を決めることができる。

君はどうして、科学を専攻したの?

 

ガーナの友人は、長年コツコツと資金をためて、図書館を作っています。

そして、中古のパソコンがほしいと。社会教育学を大学で教えながら、大学の授業を地方の女性に届けたいと。学びたい時に学べるように。

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旅行先で話したクロアチアのおじさん。

裏山には地雷が一杯まだあるよ。え?何でそんなに明るいのかって?暗くしてても何も変わらないだろう?今は、子どもも安心して学校に通える、僕らも家族と暮らせる、いろんな国の人が来る、そして、お土産を買っていく。だから生活もできるしね。いやいや、買えっていってるんじゃないからな~笑

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今の私たちに、子どもに足りていないのは

「学びたい」気持ちじゃないかな。

教え方が悪い、学校が悪い、

誰かが、何かが、悪い・・・?

食べるものも着るものもすぐ手に入って、寝るところもある。

情報だって、スマホ一つで簡単に手に入る。

特に今生きるのにも困らなくて、先に先に誰かが準備してくれて。

学びたい!って気持ちは、

不便さを解消したい!何にも情報がない。知りたい!って気持ちとも繋がっている。

 

徴兵制もないならないほうが絶対いい。

今更、戦火の中、飢餓の中、辛さを味わう必要もない。

 

それでも、どんな学校がいいか、どんな教育がいいか、そして、

学校に行く必要はない(私自身も学校がすべてと思わないし、無理に行かなくていいと思っていますが)と話したり聞いたり考えていると、

 

「爆弾が飛ばない中、安心して学校に行くことができる」

「毎日水汲みの往復で終わっていたのが、学校に行く時間ができた」

友人の話をたまに思い出しては

私自身が、ありがたさを忘れているな~と思う。

 

もし、平和ボケして、学ぶ気も起こらないなら…その民族はそのうち衰退していくのでしょう

と!書きかけて、

いやいやいや!学ぶの嫌いな子っている??

新しいことに挑戦したくない、できないままでいい、知りたくもない

って、最初から言ってる赤ちゃんいる?

 

思い出してご〜らん〜♪

 

歩けるようになった時の嬉しそうな顔!

なんでも知りたくて、口にしてた頃!

世界は発見に満ちていたでしょう?

 

もっと読んで読んでとねだって寝ない時。

そして、新しく始まる学校生活。

自分もワクワクしてたでしょう?

違う…?(人もいるかもしれないけれど)

 

私は新しく始まる小学校がどんなところか、ワクワクしてた。

ありがたいことに、家で椎茸の菌打ちしたり薪割りしたり晩御飯を作るより(それも楽しかったけど、寒くて辛い思い出でもある)、友達と遊べて、知らないことを知ることができて、楽しかった。

学校は、仕事しなくてよくて、勉強のできる場所だった。

 

何で?何で?何で?って聞いても、シツコイ!と言われることもなく、(親には良く言われてた)、小学校に行ったらわかるよ。と言われ、中学校に行ったらわかるよと言われて、高校に行った時に、こりゃ、自分で調べて確かめなきゃわからんのだな、と思い、理系に進んだんだと思う…。気がつくのが遅かったね。

 

学校で教科書で学んだことが、以後の生活に役立っているか?と言われたら、全てが役立つとは言えないけど…自分から学ぼうと思えば、教えてもらえる環境があるって、超ラッキー🤞私は本が好きだったので、図書館の本を全部読むぞ!の気持ちで借りては(読まずに返すことも多々😭)いろんな世界があるのを知った。

高校の時は、たまたま借りた本のカード前にいつも、東大に行くと噂されていた同級生の名前があって、なんか悔しくて、ストーカーのように、彼より先に制覇してやる!と本の裏のカードをチェックしていた。(彼は東大ではなく京大入ったらしい。)

そんな風に真似しながらでも学べる笑

 

勉強ができる子だったかといえば、

すでに、小学校の分数の割り算でつまづき、(学校中の先生と6年生が教えに来てくれたのに納得できない自分が馬鹿すぎて悲しくて、分かったフリをして、テストを解いていた。欲を言えば、解き方は分かるけど、何でそうなるかを理解できることを優先して、無理にテストを受けなくてもよかったら気が楽だったけど。)

さかのぼれば

何で、何でが多すぎて、今はそれを勉強してる時間じゃないでしょ?

と言われることも多々。

・虫眼鏡で太陽を見たり、安全ピンでコンセントをつついてみたり→本当に子どもには勧めません😅

小学校の帰り道に、

・アリの行列を追いかけて、電柱にぶつかったり

・川の最初はどこなんだろう?と山に入って、降りてきたら家族が心配して探していたり

・公園の地球儀みたいに回る遊具で足を離したら(遠心力で)飛んでるみたい♪気持ちいい!と今度は手を離したらぶっ飛ぶんだ!とわかってパーマーン!!と遊んでいた。そのうち、何度もしてたら花壇に頭をぶつけたり(今思えば、ただの馬鹿。でも身を持って遠心力を感じることができました・・・)

 

そのうち学校のテスト勉強用の勉強と、自分が知りたいことは違うんだなと気がついた。それでも、学校は新しいことを学べる場所であったし、友達もいたから、”行く場所”だった。もちろん、行きたくない時もそれなりにあったけど。

 理系、文系、何より教科に分かれているのも納得できず、全てはつながっているのになんで勉強する時は分けるの?

と常々言っていたらしいが、大学に行って、面白いわー!科学はみんな繋がってるんだ!と言った私に、母がよかったね〜分ける意味がわからんて言ってたもんね〜と話したのをなんとなく覚えている。

今は、全く授業の内容すら思い出せないけど…(ヒドイ頭だ…)学びたいと思った時が学び時だということは分かった。

 

もしかしたら、もっとこうだったら(好奇心をはぐくむ授業だったらとか?)

賢く、生き生きと暮らせる人になっていたのかもしれない。

 

って、今思うか?

 

思いません!笑

「学びたい時が学び時」と気がついたのだから、今からでも学べる。と思っている(脳の老化は否めないが)

安心して学校に通えて、充分な環境を与えてもらっていたと思います。

先進国に生まれて、衣食住そろって、生きてくるのに充分な環境だったと。

何かが、たりないと気がついたのなら、今からはじめればよいと。

 

 私は好奇心を潰されないように育てられたのではなかったと思う。

 でも、好奇心が全部つぶれなかったのは、生きることを諦めなかったのは、何でだろう。その時々の、両親や周りの人のおかげだと思う。

 我が家は、母は多分私たち兄弟の通知表を一度も見たことがないと思う。

忙しすぎて、それどころじゃなかったと。成績も行事も放りっぱなしだった。

愛情不足?あるかもしれない(笑)が多分その分祖父母や父との時間があったし、

 今は充分に愛情を感じてる。

 

弟は、駅員さんになりたい、切符切るだけでお金もらえるなら楽じゃ〜と言い、

私は、つまらん仕事だわ〜(今では、どんな仕事もしてくださってる方がいるから社会は回ると思ってます)そのうち機械がすることになる とほざき、

男女逆ならよかったなーと親がつぶやいたことも多々。

結果今では、弟は仕事に生きがいを見つけ、家事もし、農作業もできるスーパーマンになっていて、私はぼーっと過ごす主婦になってる。

逆じゃなくてよかったよ。

 

人並みに親からの干渉も受け、大学に入って定職につき…コースを進んでいたのだけど・・・冒険してみたくなっちゃったんだろうね~。知りたい気持ちが勝っちゃったのよね。

 

さて、どこで

勉強はさせられるもの

学びは自分から主体的に

の差が出てくるのだろう。

(残念ながら、私はそんなに主体的に学んできた方ではなかったと思う。

気がついたのは社会人になってから)

 

それはやっぱり、

困った時

不便を感じた時

知りたいと思った時

じゃないかと思う。

 

自ら学びたくなる

には

少々の不自由さと不便も必要なのでは?

 

そんな話を友達としていて、

贅沢病?

選挙と同じで、せっかく手にした選挙権も今では使わない人もたくさん。

せっかく手にした教育を受ける権利も…

 

でもさ、今から不便な時代に戻らなくてもいいんじゃない?

わざわざ苦しい思いをしなくていいんじゃない?

せっかく今の暮らしがあるんだから、今ある環境の中で、より良い環境を作っていくのでいいんじゃない?

って。

友人はいつも、ちゃんと考えをはっきりと伝えてくれる。

 

そうか。もしかしたら、

今は子どもたちにとって 便利だけど、窮屈なのかもしれない。

 

何でもそろえてもらって、できない時に人のせいにする私たち大人が

あーしたほうがいい、こーしたほうがいい いちいち指図しちゃうから。

気をつけろ、私。

 

幸い、周りには主体的に動く友人が多くて

そして楽しそうにしてる。

それが一番の見本なんだと思う。

 

さて、自分の子が小学校に上がります。

きっと、ワクワクしながら始まるでしょう。

そのワクワクを、せめて潰さない親でありたい・・・。

いや、潰しても這い上がってくる子に育てたい(けど、それどうしたらできるの?笑)

 

さ~て、ワクワクしながら過ごしますか。