あそびとくらす

遊びと暮らす 遊人クラス 日常の中にちょっとした遊び&スパイスを。日常の中からちょっとした学びを。

生きる力 「学校」とは? 学校へ行く?行かない?

1人で生きるちから?

みんなで生きる力?

 

8月に「みんなの学校全国大会」に参加しました。

映画「みんなの学校」

2年前に見て、泣きました。

学校って、こんな公立学校があるんだ。

いや、本来学校っていうんは、勉強だけやない、

こんな「学びの」場なんじゃないか

こんな場所が絶対必要だと思う。

できれば、学校という限られた場所ではなくて、

地域がそうであってほしい。
そう思っていたら、

みんなの学校 全国大会第2回 のお知らせが目に入りました。

”一人ひとりができることを考える場”


(以下、私が勝手に感じたり、私フィルターを通してなので。
映画を見て学校へ行くのが一番やと思う)

みんなの学校 というのは、あなたのいるその場所です。
あなたの地域の、誰でも通える、誰のためでもある学校。
それは誰かが作ってくれるの・・・?
あなたがつくる 学校 です。

本当に素敵な時間と空間でした。
何より、午後からのダイアログは木村泰子先生の隣でした。

泰子さん(なんと母と同じ名前)だけでなく、

そのテーブルにいた人全員が、本当に素敵な人で、

こんな素敵な人が5人もいれば、

その周りから何かが始まっているんじゃないかと思えました。

 

そのなかで「学びとは?生きる力とはなにか?」について語る場も。

私のいた机では

「生きる力」って

・みんなで生きる力?1人で生きる力?

・幸せに生きる力

・できることを増やす&できないことを回りに伝える力

・自分は自分でいい。ありのままの自分を認めて、周りを認める力

などなど。

主催者が教員ではなかったので、

勝手に教員以外の学校教育を考えている親御さんが多いかと思っていたら、

なんとまぁ教育関係者の多いこと!

こんなにも多くの学校関係者の方がいたことにびっくり。

さらに、最初の自主上映会は文部科学省の中。

大臣自ら「この映画はいい」と推薦後みなで鑑賞したそうです。

こんなにたくさんの人が今の学校教育に疑問を感じて

”自分にできることは何か?”を真剣に考えているのなら、

「学校」いえ「社会」はそんなに悪い場所じゃないんじゃないか?とも思えます。

 

さて、

みんなの学校卒業生の子が寮母さんと映画を見に行って

「おれ、大切ににされてたんやなぁ」って。

(その後、映画館でサインを求められて、

俺、有名人?だったら悪いことできへんな。って。

前川さんそれに答えて「いやいや、有名になっても2,3年で忘れてくれますよ。」笑)

 

みんなの学校 というのは、あなたのいるその場所です。
あなたの地域の、誰でも通える、誰のためでもある学校。
障害を持っている子も
気持ちを表したり伝えたりするのが難しい子も
音楽や体育が好きな子も、苦手な子も
学ぶのが好きな子も(本来子どもは学ぶことが好き)
家が難しい子も
どんな子も
いじめられている子も、いじめている子も

どんな子も「大切」なんだ。どんな人も「大切」なんだよ。
自分が大切なんだと思える時間や機会をどう作っていくといいのかな。

あなたはあなたのままでいい。

自分も自分であっていい。

周りを信じて自分を出せる場所。

できるのは自分。自分から始まる。

できるとこからはじめる

 

みんなの社会 というのは、あなたのいるその場所です。
あなたの地域の、誰でも通える、誰のためでもある社会。
それは誰かが作ってくれるの・・・?
あなたがつくる 社会 です。

 

そうして・・・

9月に

自給自足をしながらホームスクーリングで

4人のお子さんを育ててらっしゃる”さわんど”さん宅へお邪魔しました。

子どもたちはみんな「きらきらした目」で好きなことをしていました。

好きなこと、と言っても、毎日の生活を家族で作るのが基本。

その中から、たくさんの好奇心を育てていらっしゃいました。

いや、育てるというより、邪魔しない…?

自分の家を自分たちでつくる。

朝ごはんや食べたいものは子どもがつくる

(例えば、五平餅だったらくしを作って、育てた米を竈でたいて、

とってきた胡桃と自家製味噌のたれをつけて、焼く)

 

作りたいのが竹細工なら、道具からつくり、

竹を取ってくるところから。

 

音楽が好きなら、楽器を作って、弾いて、CDも作って。

 

生活の中のいろんなことを知っていて、

物知りで、手も体も良く動く。

そうして、からからと楽しそうに笑う。

みんなで”生きてる くらしてる”

 

学校に行こうが行かなかろうが、関係ないとはっきり思います。

 

そうして、トキさんのひとことも、心に残っています。

「本来、教育っていうのは勝ち取ってきたものだと思うよ。教育を受ける権利」

それを、行かないって言ってることは贅沢なのか?

それだけ魅力が必要がなくなってきているのか?

学びたいという強い気持ち、学べる環境

もしかしたら、豊かになりすぎて、なくなってきているのか?

または、「学びたい」という気持ちが強い人には、

それを満たせる場所ではなくなってきているのか?

 

 

ナツさんのひとこと

「手伝い、じゃないのよね。

家族の一員として、それぞれができることをする。

一人ひとりができることをして、暮らしを作っている。

例えば、田植えでも、自分の列が終わったら、終了~じゃなくて、

端から戻ってきて終わっていない所を手伝う。

社会もそういうもんだと思う。

 

本当に。

そんな風に、家の中から、私から、できることをしていこう。

「マコとパパがお出かけしている間に、ママが掃除したらいいでしょ?」

おいおい、だれだ?こんな子にしたのは・・・?

たぶん私なんだな・・・泣

 

答えは1つじゃないと思うし、1つである必要もない。

ただ、周りに疑問や不満を持つだけじゃなく、

今いる場所で、精一杯生きていけるといいと思う。

しっかり笑って。しっかり泣いて。

そうして、

今の自分も子どももまわりも抱きしめて。

 

学校へ行っても行かなくても・・・

そんなことが言えるこの環境は本当に恵まれていると思うから。

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