あそびとくらす

遊びと暮らす 遊人クラス 日常の中にちょっとした遊び&スパイスを。日常の中からちょっとした学びを。

そらいろ図工室 @名古屋市天白

お友達のシェアで知った

そらいろ図工室

そらいろ図工室について - そらいろ図工室

 

 

一度体験に参加して→

と〜〜っても楽しかったんだけど

まぁ、結構遠い。

悩んでいたら

夏の短期教室のお知らせが♪

夏休みの間にまたまた参加させていただきました♪

 

Tシャツの回


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夏祭りの回


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正直、

家でもよく服に絵を描いたり

刺繍したりするし

ピタゴラスイッチも作るし

トンカチも使うし…

って一瞬思ったんだけど

誰かと同じ空間で作るといろんな影響

譲りあったり、人のを見たり、教え合ったり

がプラスに働いてくれるんやないか?

先生がいたら、いろんなアイデアや手法も広がるんやないか?

と期待して申し込んで見ました。

もちろん、息子が行きたい!!

って言ったのが一番の理由。

 

間違ってなかったね⭐️

そらいろ図工室、サイコー!!

らしい(笑)

らしいって言うのは、親が見れないから。

前後10分は見学可能だけど、

お預けしたら、後は親はフリー♪

これもいい♪

私は近くの図書館にて本を物色。

 

そして、この図工室のコンセプトもいい。

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以下ホームページより

自分でじっくり考えて、考えたことをかたちにしたり
はじめて会った子といっしょになにかをつくったり
こどもも大人もいっしょになってつくったり。

それが、こどもにとって特別な時間になり、
親御さまにとってもまた、おだやかな子育て時間となるといいな、と思います。
つくる楽しみを体験しながら、自由に個性を表現をする時間の積み重ねが
こどもたちの「毎日を強くたのしく生きぬく力」につながると嬉しいです。

 

優しい空間でのびのびと過ごして

生き生きと制作していました。

 

私が家で一緒に作ると

私も自分の制作に集中してしまって

息子をほったらかしになってしまい

それはそれでいいんだけど

 

こうしたいのかなー?なんて気が回らない。

回ったとしても、

こうしてみたら?なんて言おうものなら

「ママは手出さないでっ」

て言われるし、ね。

本人に任せながら

ちょろちょろっと筆や道具や

こうしたらどうかな?と

そっと置いてくださる先生方に感謝><

そして、4年生のお兄ちゃんたち

お兄ちゃんの制作をみながら刺激を受けて

創造の幅も広がっていた様子。

 

やっぱり、

親も手を離して

お任せできる場所があるっていいですね。

 

「習い事はしないっ

だって、帰ってきてからずっと好きなことしていたいもん」

と宣言している息子ですが

それでいいと思ってきたんですが

興味や関心の種が広がると

いえ、それ以上に

いろんな人と出会う機会があるのもまた

いいんじゃないかな〜と思ったりするこの頃です。

 

習い事の醍醐味は

人と出会えることなのかな?と。

みなさん素敵な出会いの習い事、ありましたか?

小3男子におすすめの習い事ありますか?

 

 

私の中では…

合気道、剣道、柔道、空手道、水泳、サッカーあたりが楽しそうやし

連れて行きやすそうで。

友達の空手を見学に行った時は

「痛そうだからいい」

合気道の体験に行った時は

「俺は良いわ、ママやったら?」

で、なぜか私だけが道着を着て体験を2時間ほど。

(楽しかったけど)

鬼滅の刃がブームの時は剣道に関心を持つもあっと過ぎ去り

今はコナンに熱中して…

サッカー?(工藤新一に憧れたら!)ならぬ

スケボーをしてみたいと。

憧れたのは“コナン“君にでした。

 

水泳とか、良いと思うんやけどな〜〜

いざという時、自分の身が守れるやん?

 

「俺は、学校終わったら、

おうちで好きなことだけしてたいの!」

インドア男子、どう育つのか…?!?!

 

ちょっと遠いけど

通ってみるか…?!?!

 

あそびとクラス 小学生クラス?!

え?気がついたら

自宅が工房に…?


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みんな、ワクワクとシャツに絵を描くの図


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ドラムサークルの練習が終わると

「お泊まりした〜い!!」

となることがある。

特に夏休み中、何回聴こえてきたか…

我が家、賃貸でそこまで広くはないのですが

工夫すればなんとかなる…?!

エアベットを出せば…

リビングに布団を敷けば…

2人でも、3人でも、4人でも変わらんやろ…

ってことで

この日は4人(兄弟あり)+息子+大人2人

(寝る時に、ママ〜と言われないなら6、7人いける気がしてきた。)

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(食事と宿泊を伴う行為は…!

とこのご時世、言われる方もありそうだが

もう、このサークルは家族みたいな感じやと。

近くに親戚がいないため、

従兄弟みたいなもんやと思って過ごしている。)

 

めいっぱい遊んで、

ほな帰ろうかと着替えを始めたら

「あれ?それ、自分で描いたん??」

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*空色工房にて制作したTシャツ

 

「うん。

あ、そうだ、描けるTシャツあるよ♪

4枚くらいあるっ!!

みんな描いたらええよ!描くか?」

 

え?そろそろ帰るタイミングでは…?→母

 

母の提案はスルーされ

どのTシャツに描くか相談が始まった。

 

しゃーない、用意するか!!

と急いで、下に紙をひき

布用絵の具を出したら、もう無言。

それぞれが集中して↑上の状態。

嬉しそうに出来上がったTシャツを持ち帰った。

着てるかな…??

 

ある時は


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友達のお父さんの誕生日プレゼントを作ろう!って話になったり

毎回じゃないけど

子どもたちが

○○しよう!となった時に

いいね〜、好きにやりな

っていえる余裕があるくらいの自分でいたい。

 

ま、毎回そんな菩薩じゃないけどね。

子どもたちが“やりたいこと“に取り組んでる時間は

見ていても楽しく嬉しい。

 

その環境が用意できたことに、ちょっとだけ自己満足

&

私にも自由時間が来てハッピー♪

 

 

あそびとクラス

2019年、息子が小学生になり

雇われ仕事をぼちぼち再開し始めてから

全く活動していなかったが

こうやって子どもたちがのびのびと活動しているのを見ると

また、やってみようかな〜と思ったり♪

仕事としてではなく

たまにふらりとできるから楽しいのかな?と思ったり。

 

みんなのワクワクと笑顔に

私も元気がもらえる時間。

 

布に絵が描きたくなったら…

我が家はターナーの布絵の具を使用してます♪

使いやすいよ⭐️

 

 

海の風にてなに想う 〜海水調査 ヨットにのる〜

 


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きっもちいい〜〜〜〜

先月、人生初のセイリングを楽しんできました。

ヨットってなんでこんなに気持ちいいん?

 

 

なんちゃって船長


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ヨットの中って結構広い

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もしかしたらスナメリが観れるかも?!?!


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たまたま5月ごろ知人のシェアから知ったこちら

2021 summer | Seagull Yacht Club

愛知県は三河湾、シーガルヨットクラブが

日本財団からの助成を受けて

海の豊かさと課題を学ぶプログラムを小学生親子向けに実施。

海洋汚染も気になるけどっ・・・

ワンコインでヨットに乗れるっ!!!

そんな機会滅多にないっ

ヨットって、だって、敷居が高すぎだもん><

と応募していたところ、見事ゲット♪

家族3人で応募したものの、夫は都合つかず母子にて参加。

人生初のヨットに2人とも心が洗われるような気持ちになった。

(あ、私だけかもしれないけど 笑)

 

乗せていただいたヨットは

エンジン付き。

それでも、普通の船とは違って

なんだか穏やか。

帆を張るときも、子どもたちがみんなで引くと

さぁーーーっと上がり(実際は結構な力だと思う)

ハタハタと揺れる帆を見上げては

なんて気持ちいいんだろう〜と。

向かい風でもジグザグに進路を取ると進める、と

説明を聞くとわかる気がするんだけど、

納得できない! 笑

向かい風でエンジンを切ってもらった時は

進んでるかどうか見ようとしたんだけど

その凪にあまりに気持ちよくなって

進んでるかどうかもうどうでもよくなってしまった。(笑)

 

私は山歩きも好きなんだけど

(ぼ〜〜っと山に吸い込まれてく感じが好き)

ヨットも、

海の上に、ただ“或る“ことを感じられるんだね。

気持ちよさに病みつきになりそうだった。

(ちょっと、遠いんだよね)

 

今年の夏はコロナ&台風で例年の暮らすような旅もキャンセル

父の初盆と実家の片付けに山口へ行くもずっと雨で外出れず

有り余る体力の9歳児には

悶々とした夏休みだった。

思えば、今年初の海。

 

久しぶりの海に

アマモのそばで魚を探したり(チラッと見えた?)

磯で生き物を探したり

波に揺られたり。


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大人も真剣に、

久しぶりの素潜りを本気でしたので

写真が一枚もなかった。

サウが、あそびとくらす(苦笑)

 

最後は遊ばせてもらった海岸の掃除を。

たった2分でバケツいっぱいになるゴミたち。


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遊んだら、バケツ1杯分でも

「それぞれの家族が持ち帰ったら、少しは綺麗になるんね」

あっという間の3時間だった。

 

ヨットからは、

海水を採集して、微生物を観察。


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もちろん、このあとは
顕微鏡で海の小さな生き物を観察。(写真なし)

動画見れるかな?

https://www.instagram.com/p/CTZM8y8nwE_/?utm_source=ig_web_copy_link

 

 

そして、マイクロプラスチックについてもお話が。

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息子は、小さい頃は亀が好きで

水族館に亀を見に行っていた。

(今はシャチとサメが好き)

亀が釣り糸やプラスチックバックを餌と間違えて飲み込んで

死んでいる写真を見て、

海洋汚染やマイクロプラスチックのことを知った。

小さい頃は出かけるたびに、

「あ、ゴミだ」と言っては拾ってくるから

(以前は河原近くに住んでいて車も持っていなかった)

出かけるまでに両腕がゴミでいっぱいになり

帰っていたら電車に間に合わなくなったりした。

「ゴミは拾った方がいいんだけど、

お出かけの時に拾っていたら間に合わなくなるから

ゴミを拾うのはお休みの日にしよう」

と言って拾わなくなってしまったら

今では

たま〜に私がゴミを拾って帰ろうとすると

「なんで拾うの?うちの出したゴミじゃないじゃん?」

と悲しいことを言うように。

一体どこで、こんなに変わっちゃったんだろう?

あのまま出かけるたびにゴミを拾いっていたらよかったのか?

 

あ、話が逸れた。

海洋汚染とマイクロプラスチックについて知ってはいても

なかなかその課題解決に向けた生活にはなりにくい。

大好きなタガメには農薬がキツイことを知っても

農薬を減らしてらうために、自ら草を取ることもない。

(もっぱら草取りするのは私…男子はビオトープにて虫を捕獲)

好きなものが増えたり、

大切な場所があると

きっかけにはなるのかな?と思う。

もっともっと遊べばいい。

テレビに釘付けの息子(買っちゃった…)

それも彼が選ぶなら仕方ないのか…と思ったりもするけど

いろんな場所に行って

いろんな人にも会って欲しい。

大人は私だけじゃない。

楽しいことも家の中だけじゃない。

仮想空間が短すぎて

リアルが遠くなりつつあるこの頃。

触って、嗅いで、見て、聞いて、人生を存分に味わってほしい。

エゴなのか?

まずは自分が味わうのだ。

 

そんな気持ちで、これからも

海や山、私の大好きな場所へ

息子と共に出かけれる限り出かけたいと思う。

そして、私もいろんなことを知っていきたい。

知るのは何歳からでも、

行動するのも何歳からでも、

今が一番若いからね♪

 

 

東海ロックフェス出場?!

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めっちゃ楽しかった〜〜!!!

またやりたいっ by子どもたち

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新聞にも載っちゃいました♪

(2021.8.30 中日新聞朝刊 知多版)

いや〜、もうこれ、めちゃめちゃ素敵に書いてくれてますT T

 

無観客にて、私は本番を見ることはできませんでしたが

(保護者として夫が見ていた)

リハーサルを見学させてもらいました。

このご時世に、できる限りの工夫をして

開催してくださった実行委員会にも感謝の限りです。

一つの目標にして頑張ってきた子どもたちの

やり切った〜!笑顔を見ることができて本当に幸せでした。

 

メンバーにも、

メンバーの家族にも

そして、何よりサークルのファシリテーターみちさんに大感謝!

 

サークルというか塾というか

塾も運営されてるんですが、

息子が通っているのは“音楽アゴラ“というサークル活動っぽい方

ドラムを習う、ウクレレを習う

だけじゃなくって

音楽や仲間とのやりとりを通して

成長してこうぜ!

みたいな感じのところです。

 

この、ロックフェスも

「ほんまに申し込んでいいん?

みちさんと7人の小人モンスターたちやで? 」(親雑談)

ってところから

・出場するかしないか

・バンド名

・歌の歌詞

・(多分)誰がどの楽器か

などなどを、子どもたちで話し合って決めてきたもよう。

(保護者は送り迎えだけしたり、待ってる間に晩御飯を作ったり)

みちさんがファシリテーターとして、

安心した場所を作ってくださっていて

それがもう本当にありがたい。

 

************************

 

息子、1歳の頃から打楽器が好きで

特に和太鼓が好きだったんですが

(好きだったこともこの4年の家庭内争乱で忘れていたんですが…)

昨年

友達のH君が好きすぎて

コロナ禍でも

彼ともっと一緒にずっと遊びたい〜

そうだ、一緒にサークルに通えばいいんじゃない?

ってことで

Hくんの通っていたドラムサークルに昨年、体験に行きましてん。

 

一目惚れ♪

息子はかっこいいドラムに

私は

部屋に貼ってある

文言と雰囲気に。

“自分の意見を伝えよう

相手の意見を聞こう

発表できてもしなくてもよし

否定せずにまず聞こう

わからない時には聞こう

わかった時には教え合おう“

正しい答えを教えてもらうのではなく

皆で見つけ出す

そのスタイルに。

************************

 

ステージママよろしく?

初めての大会と体験に

母たちもワクワク

せっかくやからメンバーTシャツ作っちゃう??

てことで、

メンバーにて“ドラゴンイウバーズ“のドラゴンの絵を募集

天才的なデザイナーが仕上げてくれて

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ほな、衣装も作っちゃう?

でも、日頃も着たいから〜ポケットもつけて…などなど

専門に通っていた子に習いながら

なれないミシンをガタゴト。

みんなで集まったり、家で黙々と作業したり

じゃかじゃかじゃ〜ん♪


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小物作りが得意な子が

ピアスとイヤリングも作ってくれたり

 

みんなが得意なことやできることを持ち寄って

た、楽しい…♪

アラフォーにて初めての体験を母たちも積んでおりました♪

 

 

色々と足りない母ですが

息子ともども

優しい大人と仲間に囲まれて共に成長してゆけたらいいなと思います。

 

 

そうそ、

知って欲しいけど〜

忙しくなりすぎないでほしい

サークル?塾はこちら

イウバシューレ 名古屋市瑞穂区

https://reserva.be/gakushuzyuku/about

 

次回は10・4、5

岐阜は恵那にて出場予定♪

www.rainbowchild2020.com

 

移住→田舎の小学校 授業編 給食はとってきた松茸ご飯 父との思い出③

父がしてくれたことで

大人になってから気がついたことの1つが

学校と地域を結んでくれたんだなぁってこと。

 

○秋には松茸狩りと松茸ご飯♪

記憶にあるのが小学3、4年以降のこと。

秋になって

小学校の保有林?に向かうと

「ここは○○小学校の児童が松茸狩りに来ます。

楽しみにしていますので、とらないでおいてください」

と立て看板があって、

実際、土から顔を出したり、

傘が開いてみるからに松茸!!とわかるものがゴロゴロ生えていた。

わ〜い!!

皆が一斉に、松茸をとり漁り

学校へ持ち帰り、廊下に並べ

好きなのを○本持って帰っていいよ。と。

お気に入り(大体は自分で見つけたものを持ち帰るものが多かった)

を選んだ後、

その日の給食は

松茸ご飯と松茸の吸い物になっていた。

 

え?これってみんなしていたことじゃないの?

後から知った。

 

○自分たちで育てた餅米で正月には地域の人と餅をついて食べる。

学校の田んぼがあって、

毎年、田植え、稲刈り、餅つきをしていた。

ええ、今思えば、誰が

草刈りや草取り、脱穀してくれてたんでしょうね?

(皆のお父さんやお母さんだったんだなぁと。)

 

田植えは、昔ながらのロープに等間隔の印をつけたものを

両端の先生がずらしていくのに合わせて田植え。

毎年、泥の感触が、コケる子がいるのが楽しかった。

 

稲刈りも鎌で。

今思えば、1年生から6年まで皆

鎌を持たせてもらえていた。

危ないからさせない、なんて声はなかったんだろうか。

ちょろっと怪我をする子はいたけど

怪我をした子は翌年には怪我をしない。

刈った稲は、ハザ掛けをして、つまり天日干しだ。

おいしく乾くのを待った。

これまた思い出してみれば、ハザ掛けの準備は父たちがしていたし

稲刈りの時も毎年、父がいた。

 

正月には

地域の保護者だけでなく

地域の方(奥様方)も学校に来て

餅米を竈門で蒸して、

石臼でついていた。

子どもたちは、杵で餅をついたり、つきあがった餅を丸めたり。

記憶では、

よもぎ餅もある年もあったし

毎年あんこは炊いてあって、

ぜんざいにして食べていた。

土曜日だったか、平日だったか覚えがないけど

餅つきの時は

地域の人たちが結構来ていて

炊き出しもしてくれていたように思う。

今思えば、防災訓練の一つみたいなものだったのだろうか。

 

え?これってみんなしていたことじゃないの?

後から知った。

 

○運動会は紅白対決。地域のおばあちゃんは赤、おじいちゃんは白。

運動会も、全校20名以下。

そりゃ全員全種目出るでしょう?

リレーは全校リレーだし

障害物競走も、全校対決だし

綱引きも、器械体操も、パレードも全部が全部、全校生徒だ。

中学になって、自分が出ない種目があるの??とびっくりし

高校生になったら、出る種目が1、2個しかなくてびっくりした。

ちなみに、小学校ではほぼ全部の種目に出るけど

出れないものが2つあった。

1つは、園児のリレー。

地域の保育園児(幼稚園はない)がお菓子に向かってひた走る。

もう、可愛さしかない。

 

2つ目は、老人クラブ?の玉入れ。

地域のおじいちゃんが白、おばあちゃんが赤に分かれて

玉を入れる。

え??

そりゃ、外で体を動かしているおじいちゃんの方が玉、多く入るやん?!

不公平やん??

と思いきや、おばあちゃんたちの方が人数多かったりして

意外と毎年、点数が違う。

そう、この演技、児童は1人も出ないのに、

紅白対決に加点されるのだ。

 

え?これってみんなしていたことじゃないの?

後から知った。

 

○夏には子ども神輿があって、結構本気

事前に神輿を飾るところから、

練り歩いて神社に奉納するまで

1km、2km、2kmくらい離れたところから子供が通うので

途中は軽トラが神輿を運んで、子どもは歩いて追いついていたような…

神社でジュースとおやつが出るのが

その後の祭りと神楽が楽しかった。

 

 

○毎月、小学校便りがあって、

それを帰り道みち、一軒一軒お邪魔して手渡ししていた。

私の帰り道には4軒。

途中のみかちゃんちまでは5軒くらい。

ピンポーンと押して、大体おじいちゃんかおばあちゃんがいるんだけど

いない時は、玄関を開けて置いておく。

今はどこも鍵がかかっているけど

昔はどこの家も鍵がかかっていなかったの。

持って行ったついでにお話ししたり

これまたどんな人が住んでいるかわかるし

楽しかった。

 

え?これってみんなしていたことじゃないの?

後から知った。

 

 

○春には山菜とり&秋には栗拾い

春に、1度だけ、蕨取りに来たことがある。

そう、来た のだ。

じいちゃんの山に、みんなで蕨取りに行った。

きっかけは覚えていない…。

同じく栗拾いも1、2度。

授業で、

くりを拾ったことがないという子がいて

「うちにあるよ。じーちゃんの山がある。あ、今度学校のみんなで来たらいい」

松茸狩り同じ感覚で私は言った。

その後、どうやって話が進んだかは知らないが

全校生徒だったか、

2クラスでだったか

栗拾いが実現した。

じーちゃんの山で栗拾いができたのが、私はなんだか誇らしかった

のをうっすら覚えている。

栗ご飯は拾った栗だったのかなぁ…。

 

○敬老や勤労感謝の日の前後には

地域の人が来て

手紙を渡したり

昔の遊びを教えてもらったり

竹とんぼや水鉄砲を作ったり

結構、地域の一人暮らしのおじいちゃんおばあちゃんの存在も知っていた。

 

 

父の働きを知ったのはだいぶ経ってからで

小学生の当時は小学校ってそんなもの、

当たり前だと思っていた。

よく思い出してみると姉が入学当初からあったものは少なくて

(姉の小学校入学を機に移住していたから)

子ども神輿や、夏祭りと盆踊りも

徐々に、だんだんと地域とのつながり行事も増えていたのだと思う。

もちろん、父だけの働きではなくて

同じ頃、子どもを通わせている親たちと学校が協力したからこそ

実現していったのだと思う。

 

家ではそんなに話すことのない父だったけど

移住したのも、もしかしたら

子どもたちに、

残したいものや伝えたいもの

父なりの理想があったのかもしれない。

じゃないと、こんなにできないよね。

 

母になった今なら

それらがどれだけ

根気のいることだったか分かる。

子どもの学校で、

行事として米を育ててみるのはどう?

と提案しても

安全面、誰が管理するのか、費用などなど

できない理由はいくらでも出てくるし

そんな保護者を納得させながら協力してもらって

学校全体で取り組む

なんて、なかなかできることではない。

 

今思えば、

牛の世話と田んぼがない時は

クーラーのついた部屋で寝てばかり

ではなかったんやなぁ。。。

 

ありがとう。

移住→田舎の小学校 授業編 卒業証書は手漉き和紙 父との思い出②

父との思い出・・・

父がしてくれた(私にとっての)最良の決断を出すとしたら

移住 だろう。

 

当時は全くそんなこと

=仕事と生活様式をガラリと変えること

に勇気がいるなんて考えたこともなく

当たり前のように田舎生活が始まったのだが、

今の自分と照らし合わせてみると、

なんと勇気のいることか!

よくぞ決断してくれたと思う。

 

ちなみに父は約50年前の広島で一軒家を借りて外国の女の人とシェアハウスをしていたらしい?!

父が亡くなった後に知った。

イカラだよね。

 

その頃まだ少なかった航空写真会社の営業部長?だったらしい父と

マツダの広報部をやめた母が会計専門学校で出会ったらしい。

何も知らなかった中学生の私は

母さんはそこそこ美人で頭の回転も早そうなのに

どうしてマツダの花形の広報部をやめて、保険会社に入ったのか

せめて、その広報部の中の賢い人と結婚していてくれたら

こんな貧乏暮らしではなかったんじゃないか?

とおどけて話したことがある。

そしたら母も、

そうしたら、あなたは産まれてないわよ? 笑 と。

その広報部には、東大とか京大とか早稲田とか賢い人ばかりで

私はせっかく入ったのに

好きでもない車(なぜ選んだ?)の記事をたくさんの新聞から探してきて

スクラップブックを作るだけだったのが

本当に自分は馬鹿なんだな・・・と思えてたら悲しくてやめちゃったのよね〜

とおどけて答えた。

 

さて、結婚した2人は子どもが3人産まれた時に考えた。

このまま街で暮らそうか?

田舎に帰ろうか?

今ならわかる、その選択がどれだけ

大きな選択だったか。

 

3歳だった私が覚えているのは

街の幼稚園や家も結構楽しかったけど

引っ越ししたら、おうちが新しくなったこと。

新しい家では、暖炉をレンガを組み立てながら父さんと作ったこと。

初めての田舎の保育所に向かうバスの中

大泣きする弟をトントンしながら私もとっても不安だったこと。

 

さて、慣れてしまえばそこが都になるもので

私は保育所が大好きになった。

父方の祖父も祖母も大好きになった。

父は、

農業大学校へ通ったり

牛の世話や、新規就農者として色々出かけたり

アルバイトに出かけたり

母は、免許がないのに広島へ通勤することになったから

確か朝5時半には家を出て22過ぎに帰宅(しかもその頃は土曜も出勤)

父や母と過ごす時間は減ったけど

その分、祖父母や地域の人や友達と過ごす時間が増えて

かなり楽しい、保育所・小学校生活を送った。

 

そう、今思えば、めちゃくちゃ楽しい小学校だった。

全校生徒12人〜19人(私の記憶で)

我が家、三人兄弟で、その時親戚の兄弟も3人いたから

え?約半数が兄弟親戚…? 笑

 

もちろん複式学級だ。

私は1人で入学し

途中転校生が来たから2人で卒業した。

複式のいいところは

国語・算数は上や下の学年の内容も盗み聞きできるってところ。

分からない〜って思ったら

それはこうやるんだよ、なんて先生の代わりに教えようとしたり 笑

社会や理科は1年おきにどちらかを学んでいたり。

先生が来るまでまったり、お絵描きしたり、結構自由な時間もあった。

 

最高なのは、

分からないところはかなりの時間をとって

分かるところはビュンビュン進んで行けることだ。

 

一例をあげよう。

○国語?理科?

小学2年の時に、国語で「タンポポの根は3メートル以上ある」という説明文を読んだ。

朝だ。確か1時間目だった。

「そんなの信じられない」 と言った私に

教頭先生は

「じゃ、確かめに行きたい?」と魅力的なオファーをくれた。

「もちろん♪」

行くだろう?

その後は、国語の時間のはずだけど

延々と裏の庭でタンポポの根を掘っていた。

途中、教頭先生が

「ごめんね、先生他のお仕事があるから1人でも掘れる?」

みたいなことを聞いてくれた気がするが

私は聞いちゃいねぇ。

適当にうなづいて

目の前の、すぐに根が見えるはずのタンポポに食らい付いていた。

すぐに見えるはずなのに、

掘れどもほれども、根の先が見えない。

いい加減疲れてきたところ

教頭先生が戻ってきた

「そろそろ、給食の時間だけど〜〜」

え?

と思ったらチャイムがなった。

「どうする?もっと掘りたい?もういい?」

疲れた私は根を定規ではかりとった。

確か90センチくらいあったと思う。

「こんなに太くて90センチなら、もっともっと細くなって3メートルくらいあるかもしれん」

確かめることができた!

と満足し、給食にかけて行った。

 

○皆が小学校の算数でつまづくのが

(おい、本当か?)

分数の割り算

およそ99%の子どもが分数の割り算でつまづく。

*ほんごうリカ主観による身近な人調べデータより*

だって、おかしくないか?

割り算 って始めるのに

掛け算になっている。

は???なら最初から分数の“掛け算“で良くね?

思うに、最初に“分数の割り算“と伝えるのではなく

こんな問題ならどうやってとくかな〜?くらいに始めたら

もう少し誤解が解けるだろう。

それにしても、

割りたいのに “かける“ 意味がわからない…

それまで、算数も国語も簡単すぎて、スイスイ飛ばしていたのに

(あ、嘘ついた。国語は、授業のたびに横道に逸れてたんだった)

初めての壁!

やり方はわかるが、

“なぜ、割り算なのに、かけるのかがわからない。“

納得できないから進めない。分かったことにしたくない。

 

今思えば、ここで、すい〜っと進める子は

素直な子なんだろう。

私はちょっと、いや、だいぶひねくれている。

物事も斜めに、いやむしろ、後ろからも見てみたい性質なのだ。

大人になるにつれて、それでは自分が生きにくいんんだな、と自覚し

素直そうな人の皮をかぶってはいるが

元来が、ちょっと斜めから、後ろから見てみたいタチなのだ。

 

しかし、その時ばかりはまっすぐ見ても

どう考えても

分数の割り算という割に、割り算ではなく掛け算だった。

真逆じゃないか。

 

「わかりません」

とうつむく私に、担任が説明し

1時間かかってもわからないと呟く私に

6年生のけんちゃんと、のりくんまでやってきて、

机の周りで絵を描いたり、数字を書いたり

クラス全員で(と言っても私以外3人:担任と2人の6年生)

あーでもない、こーでもないと説明してくれた。

この時点で、確か1時間半ほど使っていたと思う。

これぞ田舎のいいところ。

1時間ごとに区切られてはいるが臨機応変

終いには、校長だったか教頭までやってきて

説明し始めた。

 

一生懸命聞く私。

でも

「割り算やなくて、掛け算やん。どうしてかけないの?」

と思えば思うほど、納得できない。

納得できないけれど、

こんなにたくさんの人と時間を使ってもらっても

わからない自分が

本当に馬鹿に思えてきて・・・

 

 

泣き出してしまった…。

「今日はここまでにして、また今度考えてみよっか」

そう言われたのに、宿題には計算ドリルの分数の割り算が出ていた…。

家に帰った私は、

もう一度教科書を開いて1人で考えてみた。

(両親の帰宅は遅いし、相談する習慣もなかった)

さっぱりわからない。

さっぱりわからないなりに

解き方だけは分かったし、答えが出せることもわかった。

仕方ない、

わかったフリをしよう。

理解はできないけれど、問題を解くことはできる。

そうして、計算ドリルを済ませ、

翌日登校した。

 

○卒業証書は自分たちで育てたミツマタと楮で作った和紙だった。

私の地域には楮祖神社(紙の神様)が祀られていた。

江戸の3白だと思っていたら、毛利藩の三白政策(米・塩・紙)だったが

・どうして楮祖神社(紙の神様)が祀られているのか

→中内右馬之丞や、江戸時代の生活を調べ

・実際に、トロロアオイミツマタ、楮を育てて、


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・和紙を作るために、当時は和紙工場があったので社会見学に行って

和紙の作り方を教えてもらって(多分主に教頭先生が)

→学校でもわしを作り始めた。

何度も何度もグツグツやって、繊維からホワホワの和紙の元を作った。

そうして、ハガキ大や色紙大の和紙を作って練習し

(うろ覚えだけど、手漉き和紙の葉書は敬老の日に地域のおじいちゃんやおばあちゃんへ手紙を書くのに使ったと思う)

いよいよ最後に卒業証書を手漉き和紙で漉いた。

文字は全文、教頭先生と校長先生が書いてくださった。

 

ん?今思えば、これ、何年計画?!?!

神社を調べに行ったのは確か3、4年だったと記憶。

そう思ったら、3年計画くらいで

“自分で育てた植物で和紙を漉き、卒業証書を作る“

が進行していたんだな〜と思う。

すごいよ、先生たち。

そして、それができたのも

保護者が学校を信じて任せてくれてたから…?

教科書通りには進まないし(子どものせいで><)

社会見学や地域に出て行くことは多かったし

多分、教科書をカバーすることだけが大切

例えば、受験に出るから全部カバーしといてほしい

なんてことがなかったからかな。

ゆったりと、

気になったことを

そのばでみんなで考える、調べることができていたと思う。

例えば学校でうさぎも飼っていたけど、

ある時、うさぎが食べられていたことがある。

なんで?どうして?どうしたら防げる?

それだけで半日過ぎたと思う。

 

他にも地域と共同した学びの場がたくさんあって。 

それは長くなったのでまた次回。

 

恵まれた小学校生活だったと思う。

移住してくれて本当によかった。

と今は思う。

中高生時代は、早く田舎から出たくてしょうがなかったけど、ね 

父、たかい

父が他界した。

ここで書くことでもないのだけれど。

 

書くと長いが、(だから詳しくは書かない)

もう長くはないのかもしれない

と家族もぼんやり思っていたから

そんな突然に?!!

みたいなびっくり感はなかった。

コロナ禍において、入院中の父と会えることなく半年過ぎていたのだけど

この世を旅立つ1週間前に、

私が私だとわかる時に、

父が父の77歳の誕生日だとわかる時に、

会えた。

 

生きてることは苦しいのかもしれない。

そう思いながら

 

生きててくれてありがとう

と言った。

父さんに

生きることを、

苦しいことを

強いてないんだろうか

とチラッと思った。

 

7日後、静かに息を引き取った。

 

*******

 

「私は父さんの子で、田舎で育ててもらってよかったよ。

ありがとう。」

そう初めて、父に心からありがとうと言ったのは

父が初めて倒れた4年前だった。

その時に

三途の川を見た父はこういった。

「大学の時の(今は亡き)親友が

遅かったのう

って言っったから

いやまだ行けん。

やることがある。

っていうたら

そうか。って消えた。

消えてくれてよかった。」

 

やることって何?と聞いたら

身辺整理だと父は言った。

 

え?そんなんすぐ終わるじゃん。

終わったら死んでもいいん?

 

と、元気になった父と笑って話した。

その後も身辺整理は進むことなく

山や農業関係や、父しか分からないことをたくさん残したまま父は逝った。

 

もう、父さん、

身辺整理しとらんのに死んでしまったじゃん…

泣き笑いし、通夜と葬式を済ませ

自宅に戻り生活していた。

心の準備をしていたら涙はそんなにでないんだな

と思っていた。

 

しばらくして、カウンセリングで

「お父さんはどんな人だったんですか?」

と聞かれ

思い出しながら話していたら

なんだか泣けてきた。

父さんとの楽しい思い出

は少ないけれど

父さんはすごい人だったんじゃないか。

私が知っていた父だけじゃなく

いろんな顔の父がいたんだな。

もっと、父さんにありがとうって

生きている時にちゃんとありがとうって

気がついて言えていたらよかった。

 

そう思ったら、もう涙が止まらなかった。

 

 

心の整理のために

と、

そう、父を知っている誰もこれを読まないだろうし(姉以外)

私の父さんもすごいんだぞ〜!と知らせるためでもなく

ただ、

普段はクーラーが効いてる部屋で本を読む父さん

だと思っていた父の、

本当はすごかったんじゃないか?

私たちのためにいろんなことをしてくれていたんじゃないか?

ってことに気がつけなかった私だけど

ここに書くことで、

他の人(例えば母、夫、義両親)にありがとうを日々伝えよう

ってことを思い出すように。

 

涙は、

寂しい 

と気がついた時にでるんだと思った。

ありがとうって気がついた時に、

しかし、もう伝える相手がいない時にでるんだ。

 

ありがとうって伝えることができる時には

小さなことでも、大きなことでも

何度でも伝えよう。

伝えたらいいんだよ。

 

ありがとう。

 

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父の葬儀の翌日に。

死ぬ命もあれば産まれてくる命もあるんだね

と呟いた私に

「え?虫だけど??」

と驚いた姉が言った。

 

ええ、虫でした。。。

大雨だったけど、

数時間後に見に行ったら

オニヤンマはちゃんと飛び立っていた。

 

初盆で帰省したときに

田んぼの水路を見に行ったらオニヤンマが回っていた。

 

父さん、元気になったらどこ行きたい?

3年前に聞いたら

「田んぼ」

え?田んぼがに行きたいの?

「そう。田んぼ。水が気になる。」

日常が一番愛おしかったのかもしれない。

 

オニヤンマが田んぼを見守っている気がした。